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ルーマニア・馬めぐりの旅

乗馬ライフ 2002年10月号

ルシェツで国営の飼育場を訪ねる

 ルーマニアの首都ブカレスト。空港を一歩出ると、さわやかな微風が吹いていた。手配を頼んでおいた車に乗ってさっそく目指すは、国営の馬飼育場があるルシェツ。空港周辺の車が往来し、ビルが連なる様は、いずこも同じ都会の情景。 走り続けると次第に車の数はまばらになり、反対車線を ふと一台の荷馬車がすれ違った。時計に目を向けると、空港を後にしてわずか30分しか経っていない。

 「やはり馬と密着している国なんだ」と再確認して、心はうきうき。郊外を抜けるとやがて両側に緑が増え始め、馬がしばしば視界に飛び込むようになった。そして、車はどんどん北東に進み、突然あるゲートでストップした。

 見上げてみると、ボードには「RUSETU」と明記され、馬の頭が描かれている。目指していた馬飼育場に間違いない。始めて訪れたアジア人を前にして、若干戸惑い気味の大柄なルーマニア人に執務室へと案内された。天井の高いしっかりとした造りの建物は、年月に磨かれ風格を醸し出している。

 「ここは古くからやっているんですよ。元々は国王の指導のもとに始りました」と、案内役のテオドールさんは胸を張った。発祥は、王制時代の1920年に遡る。当時は家畜の飼育場として創設され、牛や豚、羊、鶏などを大規模に育成、改良していた。時を経て、第二次世界大戦後にルーマニアは共和制になり、かのチャウシェスク政権時代には、馬を労働力として飼育することが奨励された。農作業に最適な馬を作るため、速さや牽引力、耐久力などのテストをしたり、在来馬であるトラパシュ種の改良を計ってきた。 現在は、荷馬車を始め、馬車や競馬用の馬も育成。見る限りに広がる牧草地を背景に、350頭の馬を飼い、繁殖を行なっている。昼間は放牧されており、草を食む馬たちの姿が悠々と緑の草原に映える。

 「乗ってみますか?」の言葉に勿論同意。カメラを胸に、ルーマニア初の乗馬。「乗馬用の手袋を持ってきた筈なのですが、見当たりません・・・」と伝えると、テオドールさんは「私たちは、手袋などしません」と、きっぱり。

 手綱もビニールロープと、あっさりしたものだ。実際に掴んで騎乗してみたが、違和感は感じられなかった。遠くで騎乗している人に目をやれば、足元はなんとビーチサンダル。馬に乗ることは日常茶飯事なので、気構えるということがないようだ。 草地を行けば、ゆったりしたもの。ふと、以前に乗馬したモンゴルを思い出した。緑のうねりが地平線まで連なる光景は、解放感に溢れている。常歩の揺れに合わせていれば、身体も温かく柔軟になって、走りたくなる。そこで、脚で馬の腹部を圧迫し合図を送ってみたのだが、馬は 一向に走る気配を見せない。 

 見かねて近づいてきた牧童は、「ディー(行け)」と鋭い声をかける。加えて、舌鼓。ツィッ、ツィッという鋭い響きに反応して、私の馬「アガ」は速歩で草地をさっそうと走りだした。蹄の下で踏みしだく草と、しっかりとした大地が伝わるような感触で、駈歩も軽やか。夾雑物のない空間で、ただただ、自分が自由になったような歓びがこみ上げてくる。

 翌日は、「交配しますが、見てみますか?」と、貴重な機会に恵まれた。牝馬の鼻先を輪でくくり、人がそれをしっかりと握る。尾毛を持ち上げて、水でよく洗い、準備完了。待機していた種牝馬を連れてきて、別の人の介助により、突然交配。そして、あっという間に終了した。繁殖シーズンの5月とあって、この他にも何頭もの馬が連れてこられていた。

 ここではギドラン種やフリオゾー種を始め、アラブ種やモンゴル原産のフツル種、ルシェツで交配した種など10種類の馬がいるのだという。各国から馬を買いに来ており(一頭あたり1000ドルから1500ドル)、将来は宿泊施設の整備を進めたい意向だ。ちなみに、イタリア人はこれらの馬を食用に購入するとのこと。後に取材したマラムレシュ地方で、再確認することになる。

ドラキュラ伯爵の城を経てサンバタに向かう

 次の目的地はルーマニアのほぼ中央に位置する、サンバタ。道程にかのドラキュラ伯爵のモデルとなった、ヴラド・ツエペシュ公の城がある。吸血するドラキュラはあくまで物語のなかの創造で、実のところヴラド公はルーマニアでは国を守った英雄として知られる。

 オスマン帝国軍が領土拡大を目指して西進していた15世紀。宗教的にみてもイラスム教徒であるオスマン軍の侵略は、キリスト教徒の住民たちにとっては何がなんでも阻止すべきものだった。そんななか、ヴラド公は捕らえたオスマン軍兵士を串刺しにして屋外に放置し、見せしめとしたのである。動揺したオスマン軍は退散。これをもって侵攻は食い止められた。

 ヴラド公の祖父が築いたこの城は、今も丁重に保存されている。敵の襲来に備えたためか、内部には細い階段が入り組む複雑な建築様式だ。 同じトランシルヴァニア地方のシギショアラには、ヴラド公の生家が保存されている。現在は、カフエ・レストランに様変わりしており、旅行者に人気を博している。

 のんびりと道中を進み、次の目的地サンバタには夜遅く到着。民家にホームステイする予定だ。道に而して、高い門が連なる家並み。街灯一つない真っ暗な町で、目指す家を探すのに時間がかかった。

 奥さんと挨拶をかわし空腹を訴えると、生野菜とチーズ、パンが卓上に並べられた。ルーマニア人は実に沢山の野菜を食べるのだが、味が密でキュウリやトマトが美味しい。「これは山羊のチーズ」と説明されたが、ギリシャで口にするような塩辛さはない。「保存用でない山羊の生チーズには、塩を沢山加えないのよ」とのことで、いかにも滋養たっぷりの柔らかな風味だった。

 家屋はゆったりとしたサイズの部屋が3室あり、ガラスがはめられているドア越しに隣室を見ると、子供が2人眠っていた。いきなり面識のない方の家に宿泊するのは、妙な気分である。プライベートな生活空間におじやましてしまっている、という感じがどうしてもするが、奥さんのご主人はイタリアに働きに行っているそうで、空いている部屋を有効活用しているわけだ。

 道をへだてるとそこには実家、ご両親とほとんど一体の生活をしている。その家では牛と豚と鶏を飼い、様々な野菜類を植えて自給自足で日々を過ごしていた。ここで瞠目したのは、見張り人がいる丘から夜8時に帰される昼間放牧した牛が、自分の家へと自力で帰っていくこと。

「どうしてか分かる? 自分の家の番地を見ているんだ」と冗談を言われたが、家を目指して道の角を曲がって歩いていく光景はなんとも不思議だった。

 「僕が飼っていた馬は、毎日授業が終わる頃に学校に迎えにきたよ」と以前ブラジルの日系人から聞いたことがある。動物の能力や心理は、人が解明している以上に高等なのだろう。

サンバタで立ち寄ったリピツァーナ種の飼育場

 翌朝は、前夜に自ら搾った牛乳を温めて飲み干し、元気一杯に目的のサンバタの馬飼育場へ。いかめしい門がそびえ立ち、入口に置かれた箱には靴についた雑菌を浄化するための土が入っている。アポイントの旨を告げて、ようやく門が開いた。 ここはリピョツァーナ種専門の飼育場で、ヨーロァバでは知る人ぞ知る名門だ。英国王室やスペイン王室もここのリピョツァーナを購入している。オーストリアのウィーンにあるスペイン乗馬学校といえばリピッツァーナだが、勿論ここへも売却している。リピッツァーナは、もともとはスロベニアのリピョツァという地域の在来馬であることから、この名前がついた。

 歴史は古く、1580年にリピョツァーナだけのレースが開催されたのが始まりだ。後の1774年には種牝馬牧場が創設され、1920年に本格的に繁殖に着手した。3頭の種牝馬と20頭の牝馬に始まり、現在繁殖されたリピッツァーナは300頭にのぼる。細かく分類すると8つの血統に分かれており、3世代まで遡って同じ血統の馬は交配しないように留意しているそうだ。

 「リヒョツァーナの特性として、先ず見た目に優雅で、歩様が美しいことがあげられますね。肢を高く上げる歩き方が格別です。元来そうなのですが、より高く上げるように訓練した結果でもあります。静かで落ち着きのある性質ですから、調教しやすいですよ」と、ディレクターのロベルトさんは満足気だ。

 3歳から訓練を始め、8歳で完成するという。ハンガリーやオランダ、フランス、アメリカにも輸出しているそうだ。特に馬車用に最適で、たとえば2頭立て、4頭立てなど複数頭以上で馬車を曳かせるときには、見た目を重視して毛色を統一する。さらに、同じ血統の馬同士、同じ年齢、同じ性、同じ気質であればより理想的。主流は芦毛で、意外にも青毛は稀なようだ。

 馬房に隣接する馬場で馬車に乗せて頂いた。「手綱を持ってごらんなさい」との言葉に甘えて試してみると、格別な爽快成業・ 広い馬場なので、素人でもどうにか走ることができる。

 手綱をピンと張っているのが重要で、緩みは禁物。事実、手を緩めた瞬間に馬が勝手に速く走り出した。

 見るからに柔軟そうな馬休に魅せられて乗馬もしてみたが、調教師は調馬索を放そうとはしない。大切な種牝馬である。「向こうに牝馬がいるので・・・」。万一、私を振り落として勝手に走っていかれたら問題なのだ。交配の季節である。

 騎乗したリピョツァーナは筋肉質だが、乗った感触は柔軟でふわりとしていて心地よい。まるでクツンョンに座っているかのようだ。しっかりとした関節で衝撃を吸収しているのだろうか、肢を高く上げる歩様からは意外である。始めて乗った馬なのにとても安心感を感じさせるのは、泰然とした気質によるのだろう。リピョツァーナのことを、もっと知りたくなった。

伝統的な暮らしの残る北部マラムレシュ

 次の目的地は、北部のマラムレシュ地方。20世紀初めまで欝蒼とした森林におおわれていたマラムレシュ地方は、今もルーマニアで最も伝統的な暮らしが残る地方である。生活に密着した馬の姿を求めて北上した。

 ブカレストに次ぐ、ルーマニア第2の都市ブラショフからは、夜行列車で11時間の道程だ。

 1等寝台のコンパートメントに決めた。他の車両から行き来できないように、連結部に鍵がかけてあることと、係員が常に同乗しているので安心という理由だ。夜行列車の移動は、眠ってしまうだけに撮影機材にはとりわけ神経をつかう。2人部屋だが、乗車した時は私一人だけ。途中の駅から人が乗ってくるかもしれないので、コンパートメントの鍵はかけないでおく。

 ベョドに機材と貴重品を置き、備え付けの毛布に一緒にくるまって寝ることにした。揺れが激しいものの、やがて深い眠りに落ちた。 翌朝8時、ウクライナ国境にほど近いシゲョト・マルマツィエイ駅に到着。駅の近辺はビルや店が軒を連ねるものの、車で30分ほど走ると緑深い山々に抱かれた静かな材に着いた。ここでもホームステイをすることに決める。滞在先は、1階でご夫婦と子供たちが生活し、2階の部屋を旅行者に貸し出している一軒家。うさぎと鶏を飼っており、庭先から調達した卵を朝食に出してくれた。「良い時に来ましたね。今日はお祭りがありますよ」。幸運だ。祭りの名は、タンジャナ・ホテナリロール。近くのホテン村で最も勤勉な男を称える祭りだという。

 さっそく道を進むと、やがて行進するー群が道の曲がり角から現れた。白樺の木の枝を飾るまばゆい色彩のリボンや飾りが、澄んだ青空を背景にきらきらと輝いている。マラムレシュ地方の民族衣装特有の、赤や黒、白といった鮮やかな色合いがくっきりと映える。

 行列が到着したのは、広々とした丘陵地。屋台や土産物屋が立ち並び、こぢんまりとしたステージの上では子供たちが美声を振るう。ステージ裏手の草原では若者たちが列になって、ステぶノを踏んでいた。さらに、すこし離れたところでは、持参の道具でミテゴァィと呼ばれる肉が焼かれおいしそうに煙が上がっている。晴れやかな情景は、絵本を開いたようなのどかさだ。

ルーマニアでふと思う馬に投影される人間像

 翌朝は、家畜のマーケョトを目指して早起きした。野外で催され、馬を始め、牛や豚、日用品が売買される。 近くの村、サプンツァから馬を売りに来ていたイオアンさん(79歳)にお話を伺った。

 「馬は、畑で耕作したり、山で伐採した木材を運ぶ荷馬車として欠かせません」。マラムレシュ地方には樫や樺ひいらぎの木が豊富にあり、実際に家や家具、門、そして教会までもが木造だ。ヨーロョパ最後の秘境と呼ばれるルーマニアでも、特にマラムレシュ地方は昔ながらの生活が未だに色濃く残っている。

 イオアンさんが今日連れてきた馬は、ドル換算すると、1000ドル位で売りたいそうだ。弱かったり、年老いた馬の場合は、300ドル位が相場。購入したい人は馬の見当をつけ、実際に荷馬車につないで坂を上がらせてみる。ここでは何よりも、力強い馬が望まれる。

 マーケョトの入口では、蹄鉄が売られていた。近づいて目を凝らして見ると、なんとも不思議な蹄鉄。接地面には3箇所にヒールが付いていて、まるで下駄のようだ。ヒールの高さを測ってみたところ、なんと3センチもある。改めて馬の肢元を注視すると、どの馬も確かにその蹄鉄を装着していた。

 後にブカレストに戻った折りに、馬を管理している農業省を訪ね、この蹄鉄についてお聞きした。「これは、ルーマニアではコルト(きば)と通称されており、滑り止めに良いのです。

 スパイクのようなものと考えてください」。確かに山の急斜面を重い木材を積んで下りてくる時や、雨上がりのぬかるみでは、相当な滑り止めになるに違いない。聞くところによると、水で濡れた草の上も大変滑りやすいのだそうだ。一口に蹄鉄といっても実に多様で、各地の風土を反映している。

 私はふと、根岸の「馬の博物館」に寄贈した、蹄全体を覆う形の蹄鉄を思い出した。それは、ヨルダンのナバテア王国時代(約2000年前)の蹄鉄の形が継承されたもので、館内のガラスケースの中に展示されている。機会があれば、ぜひ見て頂きたい。 さて、その夜は獣医師を訪ねた。「この地方の馬は2、3歳から働き始め、平均寿命は13~14年。過酷な労働のゆえに短いんですよ」。そして、働き始めると装蹄をし、マラムレシュ地方のように草地で働く馬は1年に4、5回打ち替えるのだという。

 ただ、森林での事故が多いようで、回復が危ぶまれる場合はイタリア行きとなってしまう 北イタリアのボー川沿岸には、馬肉を呼びものとするレストランが何件もある。イタリア名産の生ハムのような手法で、馬の前肢上部の肉を時間をかけて熟成させるのだという。北イタリアでは、高級生ハムを意味する、「クラテJ」と呼ばれている。

 (※私は食べませんが・・・。)

 馬を食べる文化(日本、イタリア、フランス、冬期のモンゴルなど)と、食べない文化(ルーマニア、アラブ圏など)。この違いは、どのように生じるのだろうか。不可解なだけに興味深い。馬に投影される人間像は、複雑である。

 ルーマニアは、2249万人の人口に対して、86万頭の馬がいる国。面積は、日本の本土とほぼ同じだ。人を乗せ、荷物を積み、日々働く馬たちと人々の生活は廃れる兆しもなく、ハ/も深くつながっている。

© 佐藤美子 (Yoshiko Sato)   権利者に無断で複製及び転載等は禁止。

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