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北ルーマニアの世界遺産を行く

家庭画法 2002年6月号

ヨーロッパ最後の秘境ともいえる北ルーマニア。カルバティア山脈とトランシルバニアアルプス山脈に阻まれ、今なお近代化とは無縁のこの土地にぱ、豊かな自然と驚くほど素朴な人々の暮らしが残されている。この北ルーマニアに世界遣産があることぱ、あまり知られていない。マラムレシユ地方の木の教会とモルダヴィア地方の修道院。これらの遺産ぱ、今も中世の暮らしのままに使われ続けている。

ルーマニアの首都ブカレストから、北へ車を走らせること6時間余り。車窓を流れるのは、ブカレストで見た独裁者チヤウシエスクの野望の跡―豪華絢爛たる「国民の館」や、建物に残された市民革命による痛ましい弾痕とぱまったく無縁の、どこまでも長閑な牧草地だった。めざすはルーマニア北部、ウクライナとの国境に接するマラムレシュ地方。一度でもルーマニアを訪れたことのある人は、この国をブカレストだけで、ましてやドラキュラ伝説や体操選手のナディア・コマネチだけで語ってはいけないという。そう、ルーマニアの真のよさは、地方にこそある。

なかでも、マラムレシュは格別だ。チヤウシエスクの支配は、急峻な山に囲まれる北ルーマニアの辺境の地までは及ばなかったのだろう。童話の世界さながら、ここでぱ今も、中世ヨーロッパの牧歌的な暮らしが当たり前のように営まれている。ボカボカと音を立てながら通り過ぎていく荷馬車、羊飼いと責任感の強い犬たちに従う羊の大群、樅の森に縁どられた広大な牧草地、プリミティブな文様が彫られた農家の木の門、赤や黒、青、黄色などの鮮やかな民族衣装に身を包む人々-。初夏、緑きらめく陽光の中で目にした光景は、何もかも新鮮で、なのになぜか懐かしく思えた。

初めて木の教会を訪れたときもそうだった。木々に囲まれた丘の上の教会は、細長い尖塔が天空に伸び、均整がとれていて美しいのだが、屋根も壁もすべての部分が木材でできていて、かつて見たヨーロッパの教会のどれにも似ていなかった。むしろ、鎮守の森に抱かれる日本の小さな社や沖縄の御嶽(聖地)の静寂と同質の空気が漂う。それはやはり、樅の木のぬくもりのせいなのだろう。

それにしても、なぜ石ではなくて木なのか―。20世紀の初頭まで、マラムレシュの全面積の90%が森林に覆われていたと聞いて納得した。この地には樅の木以外の資源はほとんどなく、逆にそのことが類いまれなる木の文化を育んできたのである。マラムレシュでは、祈りの場も住居も門も家具も棺も、ほとんどすべてのものが木でできている。ゆえに、人々は樅の木を神聖視し、慈しみ、民謡の中に歌う。そして、樅の木への特別な思いが、あの教会の美しいシルエットを生み出したのである。

マラムレシュの暮らしは今も教会を中心に営まれており、村の数だけ木の教会がある。いずれもよく似ているが、見比べると尖塔の高さや屋根の傾斜、軒の形など、それぞれに特色がある。多くが17~18世紀に建てられたもので、修復や改築を経て現在に至っているという。長い年月の間、風雨にさらされて銀鼠色の光沢を放つ木の風合いは、詫び寂びの世界にも通じるものがある・現在、これどら木の教会のうちのハつが世界遺産に指定されているが、村のランドマークである教会が存在する限り、マラムレシュのフォークロアが失われてしまうことはないにちがいない。

今も人々集う木の教会

現在、ルーマニア各地の木造建築の多くは、歴史的文化財として民族博物館に移築・保存が進められているが、マラムレシユの木の教会は平日は子どもたちの遊び場であり、週末には祈りの場となり、日常的に使われている。

とりわけ、キリストの復活際であるイースターでは、夜中から夜明けにかけて、村人たちが教会に集まり、キリストの復活を追体験する儀式を行う。この日を境に、村人たちは羊を放旬牧草地を耕す。イスターは春を告げる祭りでもあるのだ。

独特の外観もさることながら、全胸部にも観るべきものがある。

壇に飾られた聖母マリアや御子イエスが描がれたイコンは、ルーマニア特有の画法で描かれたもので、も美しぐ、素朴で親しみやすい。ブカレストでば、小さなガラス・イコンが土産物として売られており、信者でなくともインテリア小物として買って帰る人もいる。

外壁が美しい修道院

ルーマニアには、木の教会とともに、もう一つ見逃せない歴史遺産がある。マラムレシュ地方の東に位置するモルダヴィア地方の至宝である五つの修道院だ。

その一つ、世界遺産にも登録されているヴォロネツ修道院を訪れて瞠目した。静寂の森の中に現れたのは、外壁全面にびっしりとフレスコ画が描かれた色鮮やかな修道院。このヴォロネツ修道院は1488年に、モルダヴィア王国を支配していたシュテファン大公の別荘として建てられたものだ。その後布教が目的で、1547年、ロスカ司教の命により、僧侶たちの手によってフレスコ画が描かれた。

しかし、数百年の時を経て今なお、色彩の鮮やかさを保ち続けているその画法の謎ぱ解明されていない(残念ながら、なかにぱ風雪で退色して判別できない箇所もある)。

西側に回ってみたところ、夕陽に映し出された外壁の美しさに息をのんだ。そこに描かれているのは「最後の審判」である。絵ぱ五層の場面に分かれていて、最上層に全知全能の神が、次の層に裁きの神としてイエスが、その下に裁きを待つ人々、祝福されて天国に昇っていく人々、イエスの足もとから続く血の川に流され溺れる罪人たちが描かれている。罪人たちの顔がトルコ人として描かれているのは、当時、モルダヴィア公国がオスマン・トルコの脅威にさらされていたためだという。

壁画の基調となっている美しい青色は「ヴォロネツ・ブルー」と呼ばれ、ゆえにこの修道院は別名を「青の修道院」という。これに対して、フモール(奇妙な)という名を持つ修道院の壁画ぱ赤色を基調にし、「赤の修道院」と呼ばれることもある。五つの修道院のうちで一番大きなスチェヴィツァ修道院は、赤と緑の色彩が美しく、修道院ごとにそれぞれ基調となる色彩を持っているのが、モルダヴィア地方の修道院の特徴でもある。

黄色を基調とするのは、1532年にシユテファン大公の息子ペトル4世によって建設されたモルドヴィツァの修道院だ。こちらは、コンスタンティノープルの攻防を描いた壁画がよく知られている。ビザンチン帝国の首都として栄え、たび重なる異教徒の襲来にも不落を誇ったコンスタンティノープルが、1453年、ついにオスマン・トルコによって陥落したことは、同じくオスマン・トルコの脅威にさらされていたモルダヴィアの人々にとっても特別な意味があったのだろう。

壁画を食い入るように見ていると、黒衣を纏った修道女がやさしい笑みを浮かべながら壁画の場面を説明してくれた。この地方の修道院では、今も多くの修道女たちが敬虔な生活を送っているのだ。お礼をいって立ち去ろうとしたとき、「こっちにおいで」と彼女が手招きをする。聖水をぶりかけてくれるのだという。その甘く爽やかな匂いに首をかしげていると、修道女は庭先の花を指さした。そう、聖水から立ち上る匂いは、修道院の敷地に咲き乱れていたライラックの花の香りだった。

古き良きルーマニアの雰囲気を残すマラムレシュ

ルーマニアの人々は、明るく人なつっこい。マラムレシュでは東洋人がよほど珍しいのか、好奇心旺盛な子どもたちがたびたび話しかけてくる。ルーマニア人の祖先は、先住民ダキア人と征服者ローマ人の混交といわれているが、たしかに彼らの中にラテンの血を感じる。 その陽気な血が最も騒ぐのが祭りの日だ。マラムレシュ地方でぱ、今も季節ごとにさまざまな祭りが行われているが、偶然、「イザ川の可愛いお嫁さん」と呼ばれる祭りに出くわした。村ののど自慢大会だ。村中の老若男女が色鮮やかな民族衣装を纒い、公民館で自慢ののどと楽器の演奏を披露するという。

そこで、イアナという名の美しい少女に出会った。「世界的な歌手になりたいの」と彼女は出会ったばかりの私に将来の夢を語ってくれた。じつは彼女のお母さんもかつて村一番の歌手だったのだという。いよいよ、彼女の番。こぶしのきいたハスキー・ヴオイスが悲しげな旋律を歌い上げる。舞台の前、彼女は「最近お父さんを亡くしたの」とそっと教えてぐれたのだが、その歌声はやぱり天国の亡き父に向けたものだったのだろうかー, 歌い終えたイアナは、先ほどとは打って変わって、屈託のない笑顔で「一緒に踊ろう」とねだった。困っている私をイアナが踊りの輪へ連れ込む。そう、これこそ紛れもなくラテンのノリだ。観念して踊るうちに、体が熱くなり、ステップを踏むごとに身も心もラテンの血に染まっていく気がした。

ところで、マラムレシユには、人々のラテン気質をよく表すおもしろい場所がある。サプンツァ村の「陽気な墓」だ。ここは、木彫りの墓標に、その人の人生、家族へのメッセージ、やり残したことなどがユーーモラスに描かれているという、じつに奇妙な墓地。「私は布を織るのが得意で、金持ちになりました。3人の子どもにも恵まれて、とってもハッピーな人生でした」といった具合で、墓標に描かれた人生を見るだけで、じつに愉快な気持ちになってくる。死ですら陽気化演出してしまうこの墓はまさに、ルーマニア人のラテン気質そのもの。世界遺産でこそないが、北ルーマニア必見の場所の一つだろう。

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