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文明と美のグレートジャーニー

ルーマニア、木の文化の「門構え」
東欧に東洋が見えてくる「反り」と「葺き」のデザイン
鶴岡真弓(多摩美術大学教授)・文、写真

 日本文化には、「門構え」という、心が引き締まるような言葉がある。英語直訳ではやや素っ気なく「a house with a stately gate(立派な門の家)」などとなるが、この場合「構え」というニュアンスをどう表すか。「構造structure」も構えだし、「外観・姿appearance」や「様式style」も構えの表現に使える。
 「門構え」においては、門という一建造物が、たんなる物ではないこと、つねに何かを象徴する存在であることを意味している。
 お寺の門ならば、門前を賑わす。界隈に風情を醸し出す。社会の「様式/スタイル」、顔かたちともなる。そうなると本当に「立派な門」とは、ただお金・をかけただけのものでぱなく、人々の思いの越し方、伝統を醸し出すものでなければならないということになるだろう。
 また現代では、田園、田舎に味わいのある門構えの家・を、しばしば見つけることができる。そしてそれは日本に限らない。世界の田舎で、どんな味のある「門」に出会えるか。門によってその土地の器量を、ひと目で知ることができるのでぱないだろうか。
 そんな旅に出てみよう。そしてそこに日本の門の美を再び発見してみたい。

木造りの門

 ヨーロッパのなかでも、とくに東欧は、日本人にもどこか懐かしさを覚えさせる風景に満ちている。トランシルヴァニアから黒海の岸辺まで。大自然に恵まれたルーマニアの田舎を旅していると、そんな風景に出会える。ロバや馬に荷車を引かせて、日暮れに野良仕事から帰る農民や、働き者の母さんたちが通り過ぎる。
 姉様かぶりの手ぬぐいぱ、ここでは三角折りのスカーフ。ロシアやバルカンや中央アジアにも共通の女性のいでたち。ルーマニアでは赤い薔薇の花(この国の国花)の模様が鮮やかで、荷車に揺れながら通り過ぎる。日常が絵になっている。

 そんな田舎道を行くと、もうひとつの絵が現れる。立派な門構えの連なりである。畑のすぐ近くや、やや小高い場所に、農家の木造の門が建っている。素朴に見えるがその細やかな意匠は、ひとつの芸術だ。北のマラムレシュ地方やモルドヴァ地方などを始めとして各地で出会える。首都ブカレストの「国立農村博物館」では、たくさんの木遣りの門が移築、復元されていて、この国の住宅や農家には不可欠の伝統の顔であることがわかる。
 ルーマニアぱ、北欧からロシア、シベリアまで統く木の建築文化の帯のなかにあるから、木造りの趣を抜きに、民家も教会も語れない。その見本のようなものが、「木の門」なのである。
 ぬくもりのある木造の上に、屋根の形のユニークさ。お菓子づくりの木型のような、木彫の装飾が特徴だ。豊かでヴァラエティ一に富んだ、木との対話がある。よく言うところの、日本は「木の文化」、ヨーロッパは「石の文化」という比較は、あっさりと覆させられてしまうだろう。
 とりわけ屋根の「板葺き」の細やかな「鱗」と「反り」。遠目にはほとんど東洋の建築かと見紛うばかりだ。屋根の「鱗」のような葺き方の味わい。これは私たちのアジアや日本の伝統かと思いきや、ここにも豊富にあったのである。その繊細な重ねの技には、森の精霊の「ささやき」がデザインされているようだ。

「葺き」と「反り」の東西交流

 けれども本連載のテーマは、ここからである。先ほど記したように、木造りの建築の伝統は、唐檜から樺の木まで森と林に恵まれた他の北方ユーラシアの諸地域と響き合っているもので、スカンジナヴィアからロシア、シベリアまで、そしてわが北海道まで、木造り建築の帯は、虹の架け橋のように東西に架かっている。
 この東西をダイナiックに交流する木造建築は、「西洋」とも「東洋」とも区別できない、自然と生命のデザインを、太古から共有していた。いま言った鱗のような板葺きや、屋根の反り、木彫の装飾がそれである。
 お手元の地図帳でユーラシア大陸の中にルーマニアを見つけていただくと、いかに東ヨーロッパが「アジア」に近いかがおわかりいただけると思う。ルーマニアぱヨーロッパの最東端部の一つである。悠々と流れるドナウ川の河口、ドナウ・デルタを、黒海に開いている。ドナウ河口の先端部スリナという村まで、生活の船が行き来し、北東に行けば国境を越えて、モルドヴァ共和国、ウクライナ。中央アジアの草原に通じている。
 ルーマニアRomaniaとぱ「ローマ人の国」という意味だが、ローマ以前に土着のダキア人がいた。東からマジャール人も侵入する。周辺国のスラヴ人も含めて、元はみな「東方」からやってきた。「ヨーロッパ人」の元になる、インド=ヨーロッパ語族の人々は、カザフスタンやキルギスタンがもともとの故郷なのである。
 なるほどチンギスリ・ハーンが大暴れした時代にぱ、たくさんの東洋の「デザイン」が、黒海近くまで運ばれた。だが、それよりも数千年も前に、壮大な時間をさかのばった東西の交流があった。ここでは紙幅の関係で要点に留めるけれど、黒海の西岸であるルーマニアは、先史時代、馬に乗ってヨーロッパに進んでいった騎馬民族文化を、最初に受け止めた土地の一つだった。
 その歴史と伝統を思えば、ルーマニアの田舎に、東洋風の屋根の「反り返る曲線」や板葺きの「鱗」が建っていることにも納得がいく。家や教会の内側にぱ色とりどりの絨毯が敷かれ、中央アジアやオスマン・トルコの影響も感じさせる。屋根の「鱗」と「反り」は、ユーラシア東西両端の神話の中に棲む神、「龍」の背中の曲線の力強さとしなやかさに響きあっている。
 そんな思いで、木の門を眺めていて、ふと思い出した。「龍」といえば、ルーマニアの伝説「ドラキュラ」の語源は「ドラコDrako(龍)の息子」という意味であった。元は、龍を退治するほど強い英雄とされた騎士たちの尊称であったという。
 東洋との響きあいはもっとある。門の扉や柱に目をやれば、「太陽」「ヒマワリ」「薔薇」「成長の蔓草」の意匠。「つがいの鳥」や「山羊」「蜜を獲る熊」など、豊饒と生命の象徴が彫刻されている。食べ物を生産する農家が、生きとし生けるものを門に宿らせる。「文様」の細やかさと「図像」の楽しさが真骨頂だ。門は共同体の「希望の門」なのだと、発見させられた。

ロティの陽明門

 さて私は北のモルドヴァ地方からドナウ、黒海へ向かうため「東へ」移動した。ドナウの船着き場に行くバスに揺られながら、様々な日本の門のことを思い出していた。沖縄には戦争で焼けるも復元された守礼の門、平安京の幻の羅城門、そして明治時代から現在まで外国人に最も仰ぎ見られ賛嘆されてきた、日本の美としての日光来照宮の門のことであった。
 日光を訪れ印象を記した最たるヨーロッパの作家のひとりが、当連載の6月号に登場した『お菊さん」の作者にしてフランス海軍のピエール・ロティである。遥々イエヤスの霊廟までやってきて、『秋の日本」(1889年)で「日光霊山」に詣でた感動を書いている。そこには極東の日本の、最も煌びやかな門が待っていた。
 「きっと壮麗に違いない」とわくわくしながら「門前に到着する」。「漆と青銅のいくつもの塘壁や屋根が層をなして重なりあい、金色に照り輝く馨しい怪獣どもを到るところに裾えている」。「陽に照らし出された厚い用材には、あらゆる神々や、獣や、火龍や、花々などが浮き彫りにされ」ている。ロティは、まるで極彩色の万華鏡に迷い込んだような興奮のなかで、その装飾美を仰ぎ見た。
 門には大陸から日本に来た中国の空想の龍や牡丹の花がうごめいていた。ロティは東洋趣味を超えて、霊廟を飾る造形に託されたパワーがここには満開していることを、「門前」で悟るのである。

 ロティは、ルーマニアとも縁があった。しばしばフランスからアジアに向かう任務の途上、ルーマニアを通っている。パリとブカレスト間を結ぶ鉄道がすでにあったのだ。港の「ヴァルナから船に乗って黒海・を横切り」イスタンブールヘ。そこからアレクサンドリアやインド洋へ、上海へ、「東洋航路」が開かれていた。
 ある年、ロティは上海から長崎に来て、「お菊さん」に出会い、それを小説に書いた。そして『秋の日本」にあるように、東へ旅をしてたくさんの武家屋敷の名残の門構えも見て、ラ・サクラ(浅草)の雷門もくぐり、ついに日光の門に到達したのである。
 旅の果てに、日本の門があった。ロティはその旅で見た日本の建築と工芸の技を、この世のものではない龍宮に舞い込んだような興奮で、綴ったのだった。
 かつてヨーロツノQアジアを結んでいた黒海を、東側から渡ればルーマニア。南に行けばバルカン半島、地中海。文明の極みには、古来、門が開かれてきた。ロテイの憧れた東洋の極み、日本は、そのユーラシアの内海にも通じている。
 いかにも漢字では「耳」で尋ねるのを「聞」。「口」で尋ねるのを「問」というが、尋ねるかける人に向かって、いつも開いている門があれば、その国もその人も栄えるだろう。そう、「笑う門には福来る」。「Fortune comes in by a merry gate.」なのである。
 ロティは日本を二度訪れた。彼の「東洋航路」とは、幸福の門(メリーゲイト merry gate)を、東方に探し求める旅でもあったのである。

つるおか・まゆみ 1952年生まれ。早稲田大学大学院修了後、アイルランド・ダブリン大学トリニティー・カレッジ留学。 立命館大学教授を経て、現在、多摩美術大学芸術学科教授。アイルランドから黒海沿岸までケルト芸術文化を調査・研究するほか、ウズベキスタン、モンゴ、シベリアなどを踏査し、日本を含めたユーロ=アジア世界の民族の装飾デザイン史をも研究している。著書『ケルト/装飾的思考」(筑摩書房)、『「装飾」の美術文明史」(NHK出版)、『ケルトの歴史」(河出書房新社)、『阿修羅のジュエリー」(理論社)ほか多数。

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