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ルーマニア 黄泉を訪ねて

ソトコト 2001年8月号

トランシルバニア

 アイルランドの作家、ブラム・ストーカーで有名になったドラキュラ伯爵。そのモデルは、残酷だが清廉潔白だったと伝えられるワラキアの人気君主。実在の人物だ。

 ドラキュラ伝説には、サディスティックという言葉では片付けられない魂の闇部をくすぐる魅力がある。トッド・ブラウニングの映画「魔人ドラキュラ」では、ベラ・ルゴシの演じたドラキュラ伯爵はトランシルヴァニア特有の仄暗い貴族の血を感じさせる気品があり、そのうらぶれたダンディさに戦慄と同時に密かな憧れを覚えた人も少なくないはずだ。そんなドラキュラのモデルになったのが、15世紀のワラキアの君主、ヴラド・ツェペッシュ。ツェペッシュの訳は「串刺し公」。敵の異教徒たちを容赦なく串刺しにした残酷な死刑拷問から、このような渾名がつけられたという。ちなみにドラクルは「ドラゴンの子」。ドラゴンは暴力と悪魔の象徴である。ドラキュラこそは、神を信じれば永遠の命が与えられると説いたイエスをせせら笑うような背徳のイコンだ。

 そんなドラキュラの故郷であるトランシルヴァニアの欝蒼とした森の奥深くへと私たちの車は進んでいく。トランシルヴァニアは、カルパチア山脈とトランシルヴァニア・アルプスに囲まれた高原で、「森の彼方の国」という意味だ。ルーマニア国土の3分の1もの面積を占める壮大な地域である。ドラキュラが生きていた15世紀はハンガリーの領地だったが、第一次世界大戦後ルーマニア領地となり、その所有権を巡ってバルカン半島の緊張問題の一つに数えられている。

 トランシルヴァニアの高原に足を踏み入れると、空の色がどんより濁り、心なしか肌寒さを感じるようになる。明らかに今までとは違う空気がうっすらとあたりを包み込む。山と森林に囲まれて閉ざされているからだろうか。この地方は、明るく華やかな西洋の文明から取り残されたようだ。イタリアやフランスが輝かしいルネッサンスが花咲いた上地だとしたら、その晴れやかさの影になっているのがトランシルヴァニアなのだろう。古代ローマの神ヤヌスが2つの顔を持つように、西洋文化も2つの側面を持っているのだ。

 そんなヨーロッパの裏鬼門トランシルヴァニアは、実際のドラキュラ公よりも根深いもうひとりの吸血鬼を生み出している。自らの若さを保つために沢山の処女を殺した女吸血鬼エルゼベート・バートリー、16世紀に生きたトランシルヴァニアの名門貴族だ。ハプスブルク家とも血縁がある美貌のエルゼベートは、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフニ世とも親しい宮廷の花形的存在だったらしい。漆黒の天鷺絨やレース、宝石でゴシック風に着飾っていた彼女だったが、永遠の若さにとりつかれて612人もの処女を殺し、その血で入浴をしていたという。

エルゼベートの話は実話だが、このような肉体への強い執着を題材にしたドラキュラ伝説はトランシルヴァニア地方だけでなく、ブルガリアやロシア旧ユーゴスラビアなど、東欧全域に存在するという。輪廻思想に基づ仏教では、肉体は魂の仮住まいと考えられているのに対し、キリスト教社会では肉体は、魂と一対のものとして考えられている。肉体がなければ復活もできない。だからこそ、魔女たちは火あぶりの刑にされたのだ。

 車でブカレストから揺られることかれこれ5時間。私たちはドラキュラ公が生まれたシギショアラという町に到着した。ここはコミュニズムや独裁政治でズタズタにされたルーマニア国内でも、中世の面影が最も色濃く残る数少ない町のひとつだとか。この町では2000人もの女性が魔女裁判にかけられて処刑されたことでも有名だ。幼いドラキュラ公は、そんな残酷な刑を生家の2階の窓から一部始終見ていたのだ。そのドラキュラ公が幼児期を過ごしたという部屋で優雅に夕食をとりながら、私たちは彼に想いを馳せてみた。

知る人ぞ知る不考の大研究都市

 ブカレストの不老研究クリニックは、20世紀の伝説(ミトロジー)だ。世界を牛耳っていた大強豪たちも、高い精神の境地を追求し続けたアーティストさえも、「老い」にだけは恐れをなして通った幻のクリニックがこの、ANA ASLAN National Institute of Geriatrics & Gerontology

 ドラキュラのプラン城からブカレストに移動した私たちは、「若返りクリニック」こと「国立老人医学研究所 アナ・アスランセンター」にその足で向かった。クリニックというよりは、贅をつくした巨大宮殿。まるで、イタリアのシャトーや豪華なヴィラのよう。その昔は「小パリ」と呼ばれていた美しいブカレストは、今では盗人と野犬が多く、昼間でも一人歩きが怖いほど貧困が蔓延している街になっていたじかし、同じ街にこんな場所が存在するなんて、そのコントラストに松任谷さんも思わず目が眩んだ。

 私たちがこのクリニックを訪れた日は奇しくも復活祭だった。クリニックの休院日だったのだが、ディレクターのマリア・ジョルジェスク博士が、アビーム博士と駆けつけて私たちのために親切にも開けてくれたのだ。8か国語を流暢に話す才女のジョルジェスク博士は、穏やか調子でこう語ってくれた。
「89年の革命を覚えていますか? 私たちクリニックも、革命以前と革命後では、だいぶ変わってしまったものです。ここは、世界でも唯一、老年学をあらゆる角度から研究する総合クリニックとして1952年に私の恩師の故アナ・アスラン博士が設立されました。外見だけではありません。体と心の老化防止が私たちのモットーなんです。老いた体と心で生きるのは、誰にとっても面白いものではありませんもの...。

 世界中の王様や王妃をはじめ、クラウディア・カルディナーレ、マレーネ・デートリッヒ、リズ・テイラーといった女優だけでなく、チャーリー・チャップリンやピカソ、フランク・シナトラといった男性陣、それにケネディやド・ゴール、毛沢東、ガンジーといった思想が全く異なる政治家たちもここに極秘で通っていたという記録があります。日本の皇室の方もよくいらしていたそうですよ」(ジョルジェスク博士)「このクリニックは、ヴィラ形式のサナトリウム・ホテルにもなっているんです」と、今度はアビーム博士が宿泊室に案内してくれた。なんだか、夢の残像を見せられているようだ。毛沢東もケネディも呉越同舟、同じ敷地内で1週間ほど治療を受けては、国に帰り……という生活を繰り返していたのだ。革命後、人々の足は遠のき、このクリニック宮殿は半ば記憶から忘れ去られてしまった。革命前までは、どこのヨーロッパのサロンよりも世界中のセレブリティが往き来した栄華を極めたこの場所は、今では、まるでクリニック内の時間が止まっているようにひっそりとしていた。

 けれども、ジョルジェスク博士たちは、今年からこのクリニックの復興に力を入れる決心をしたという。ルーマニアの黒海に面したホテルのタラソテラピー・センターにクリニックのスタッフを派遣したり、当院のパンフレットも現在制作中だとか。美容エステの場合ならば、1日の料金は50ドルからというから、私たち日本人に手の届かない値段ではない。ちなみに、若返りだけでなく、痩身テラピーのコースなどもある。もちろん美容目的だけでなく、皮膚病などの治療目的の人も多いことを忘れてはならない。写真は、あらゆる先進国の病院で見捨てられた後、最後の望みをかけてここに来た40代の男性。1年間ジェロヴィタルを投与した結果が、右の写真だ。

 果たしてブカレストは、世界の美容&不老都市として再興するのだろうか? しかし、ドラキユラの国ルーマニアが、こうした不老の研究をしているのは面白い。何世紀経っても、人間の願望は変わっていないのだから。

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