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お針子おばあちゃんの部屋

Wingspan 2011年5月号

ルーマニア中・北西部一帯に広がる“森の彼方の国”、トランシルヴァニア地方。

 遠い昔、ここへハンガリー人たちの祖先がアジアからやって来た。
 やがて、彼らの村々では女性たちが作った衣装や織物が、民族の証しとして残されていた。どの家でも、おばあちゃんや、そのまたおばあちゃんが、少女時代から年老いるまで、人生すべての思いを糸に託して縫いこんだ品々が、部屋を埋め尽くすようになった。

 ルーマニア中・北西部、トランシルヴァニア地方に点在するハンガリー人村では、細かい装飾を施した民俗衣装や、民俗舞踊が古くから受け継がれている。 そういう村がたくさんあります。村人ぱ、自分たちのことを「東から来た民族」と呼びます。彼らの祖先ぱ、1000年以上も前、ルーマニアという国もハンガリーという国もまだなかったころに中央アジアからやってきた騎馬民族でした。 ”森の彼方の国”と呼ばれるこの地方ぱ、カルパチア山脈に囲まれた広大な高原でリ」牧草地と農場が広がる中に、ぽつんぽつんと小さな町や村が点在しています。牛や羊を育て、馬や鶏、犬や猫と暮らす人々ぱ、春から秋までぱ家族で農業を営みますが、長い間は家の中で手仕事に勤しみます。彼らぱ美しいものが大好きで、そういうものを作るのに必要な手先の器用さと独創性を持っていました。女性たちぱ働き者で、美しいものを作るためなら単純で細かい作業もいとわず、ずっとやり続けることがでぎました。彼女たちぱ嫁ぎ先の家の一間を「清潔の部屋」として、手作りの嫁入り道具や婚礼衣装などを飾り、娘や孫たちのために衣装や織物を作ってぱそこへ納めていきました。女たちがおぱあちやんになるころにぱ、部屋ぱ隅々まで隙間のないほどに、美しい品々でいっぱいになっていたのでした。

不思議だらけのトランシルヴァニア

 Romaniaというからにはローマ人の国であるはずで、ここはまぎれもなくヨーロッパの一部ではあるのだが、どうやら実際には想像以上に多様な国らしいことが分かり始めたのは、トランシルヴァニア地方へ辿り着いて数日が経過したころのことだ。少なくともトランシルヴァニアというところは、もともと大昔から、そう宿命づけられた土地のようだった。
 ルーマニアの中央部から北西部に広がるトランシルヴァニア地方には、民俗衣装や民俗舞踊といったフォークアートを昔と変わらぬまま残すハンガリー人の村が数多くあると聞いていた。手の込んだ刺繍を施した煌びやかな民俗衣装を、今でも村のおばあちゃんたちが作り続けているから、彼女たちに会いに行こうというのが旅の目的だった。
 ほかのヨーロッパの国々と同様、ルーマニアも多民族国家で、特にトランシルヴァニア地方には多くのハンガリー人が住んでいる。たしかにガイドブックにも、ルーマニアの総人口2200万人あまりのうち、1割近くはハンガリー人だと書いてあったが、だからどうしたというのだ。彼らもルーマニア国民には違いない。
 ところが、一人、また一人とおばあちゃんに出会ううちに、彼女たちの心の在り処が、国と呼ばれるものの枠組みの中にはまったく収まっていないように見えてきて、その謎に立ち入らずにはいられなくなってきた。

 村のおばあちゃんたちは、おしゃべりが大好きで、みんな働き者でした

 除いて、この地方は”超”が付くほど田舎だけれど、おばあちゃんたちは、小さな村の小さな家の中に、一生涯をかけて、「清潔の部屋」と呼ばれる自分だけの美しい世界を築き上げていたのだ。そこは日常とは別次元にあるユートピアに見えた。少なくとも最初の数日は。

おぱあちやんの夢の世界へご案内

 長い冬の間、村のおばあちゃんたちは、薪ストーブのキッチンのある部屋で一日のほとんどの時間を過ごす。部屋の壁や食器棚を、結婚写真や子どもたちの写真などと一緒に、自分で刺繍した柄布や手縫いのレース布できれいに飾り、自分で織ったベッドカバーの上にちょこんと腰かけて、膝の上に布を広げてせっせと刺繍している。刺繍の柄や技法は村によって少しずつ異なるのだが、たいていは、それぞれの村で、本人たちもよく分からないほど昔から受け継がれてきた伝統的なものらしい。
 どのおばあちゃんを訪ねてもやさしく微笑んで迎え入れてくれるので、「作っているものを見せて」とお願いすゐと、そこからは彼女たちの独壇場で、別の部屋に消えたかと思うと何十年もかけて作りためた衣装やらテーブルクロスやらを両手いっぱいに抱えて現れ、あれこれ長い解説付きの大披露会が始まる。ただし、流暢にルーマニア語を話すのはほんの数人で、何人かはルーマニア語をまったく話さなかった。半数くらいは少し話せるようだったが、自慢の刺繍の話や、出稼ぎに行った息子の話題ともなると、ハンガリー語に切り替えた後の方が断然饒舌だった。
 ルーマニア語とハンガリー語は、まったく成り立ちの異なる言語である。ルーマニア語はラテン語系で、ハンガリー語は、文法上は日本語を含むアジア系の言語との共通点が多い。要するにルーマニアに住むハンガリー人は、多くのルーマニア人とはかけ離れた起源や歴史を持つ民族なのだ。

おぱあちやんたちぱどこから来たの?

 トランシルヴァニアでは道路標識にもルーマニア語とハンガリー語の地名が併記されている。たとえば、西部の大都市、クルージュ=ナポカはルーマニア語名だが、かつてはハンガリー王国の首都だったこともあり、コロジュヴァールという別のハンガリー語名がある。ハンガリーとの国境近くで交易都市として栄えたフエディンは、ハンガリー語ではバーンフィ=フニヤドといい、”ハーンフィ”というハンガリーの貴族の名前が入っている。こうした例は、その土地の持つ歴史的・地理的意味合いが民族によって大きく異なることを示す。この国はその違いを受容して2つを共存させているのだ。
 それにしても、なぜ、おばあちゃんたちはルーマニアに暮らしながらこんなにも強く頑なにハンガリー人であろうとするのだろうか。
 トランシルヴァニアのハンガリー人は、大きくは西部のマジャール人と東部のセーケイ人とに分けられる。マジャール人の起源は中央アジアの遊牧民で、9世紀ごろにヨーロッパヘ移動してきた後、ハンガリー王国を建国した。セーケイ人は、もともとは別の民族で、ヨーロッパに入ってきたマジャール人と同化したともいわれるが、今では自他共にハンガリー人と認める存在である。

 いずれにしても、彼らは、西暦1000年にハンガリー王国ができる前からこの地にいたのであって、近現代にハンガリーからトランシルヴァニアヘ移住してきたわけではないのだ。
 ちなみに、ルーマニア人の祖先は、マジヤール人がやってくるずっと以前、紀元前10世紀前後という大昔からこの地に住んでいたダキア人という民族と、2世紀にローマ帝国に攻め入られてからローマ人と同化していったともいわれる。

 Romaniaは、ローマ人の国というわけでもないようだ。
 また、中世にはモンゴル軍の襲来で壊滅したトランシルヴァニアの防衛と開発のためにドイツ人が多数入植したほか、インドから流れてきたジプシーもルーマニアに数多く定住している。複雑過ぎる歴史は、多様な民族を排除する方向ではなく、同化したり共存したりする方向へ国を動かしてきた。

変えない、変わらないその村らしい暮らし

 ある村の夜明けのころ。紫がかった空の下に家並みのシルエットが浮かび上がってきた。どこかで一番鶏が鳴き、家々の窓にぽつぽつと灯りがついていく。やがてどの家も、屋根の小さな煙突から煙を噴き出し始めた。ブルブルツと鼻を鳴らしたのはどこの家の馬かな。羊か豚だろうか、馬よりは小さそうな動物もゴソゴソしている。湿った土を踏みしめる自分の足音が、そこここから聞こえる朝の物音に溶け込んでいく。
 おじいちゃんが一人、向こうから台車を牽いてゆっくり歩いてくる。積み荷の大きなポットの中身は牛乳か羊乳か。すれ違いざま、その温かい匂いが漂い、おじいちゃんは低い声で「ョーナポーット(おはよう)」と言って過ぎていった。
 テレビと携帯電話以外は、もしかしたら100年前と比べて大きくは変わらないかもしれない村の日常。トランシルヴァニアには、町からそれほど遠くないところでもこういう暮らしが残っている。村は自然とともにあり、その中で人々が知恵を出し合い、助け合って生きている。そうして、たとえばハンガリー人村ではハンガリー人村の、その村らしさが守られてきたのに違いない。

お針子人生80年。おばあちゃんのすべて。

 村の“らしさ”はおばあちゃんの刺繍にも見られる。
 大きくは東部と西部で違いがあって、東部では、赤い糸をダブルクロスステッチで縫い込んだ幾何学柄の刺繍布や白いレース編みなど、言うなれば禁欲的で均一的なものが多いのに対して、西部では、色とりどりの細かい刺繍や、ビーズやスパン’コールをちりばめたド派手な衣装、細かいプリーツスカートやアコーディオンのように大きく袖を膨らませたシャツなど、作られているものも色柄も、開放的でバリエーション豊かだ。ただ、身近な植物などの自然がモチーフになっているところは共通していて、特にチューリップ、カーネーション、バラなどの花柄は、さまざまに形を変えて多くの村で用いられていた。
 おばあちゃんたちの作品は、ハンガリーなどへ持って行くとよい値で売れるそうで、老後の乏しい年金暮らしを支える大事な収入源になっていたりもする。腕がよくて機転のきく商売上手なおばあちゃんの中には、自らハンガリーまで出向いて一財産築いた人もいた。しかし、本来その腕前は、わが子や孫たちのために磨かれたもの。結婚式やお祭りなど、晴れの日に着る衣装だけでなく、誰に頼まれたわけでもないのに、「いつか娘が使えるように」とか「いつでも孫が困らないように」と、暇さえあればシーツやクロスを織り続け、何枚もの枕カバーに刺繍を着けていく。「こんなにたくさん作ったのに、このごろ誰も使ってくれないのよ」とぼやいたかと思えば、「でもこれは我れながらキレイにできたから、ホントは誰にもあげたくないの」と言い、ふくよかな体を揺らして笑う。
 喪服も死装束も、そのほか葬儀の際の装飾などに必要な布一式も、もちろん彼女たちの手作りである。おばあちゃんはまだ元気なうちに、自分の分と、おじいちゃんの分と、去りゆく時のための準備をあらかじめ済ませておくのだという。
 そうして作りためたものが、「清潔の部屋」に、次から次へと納められていくのだ。この部屋は客間というわけでもなく、ただ彼女たちが、婚礼道具や婚礼衣装、祖母や母から受け継いだ品々などを美しく陳列しておくための部屋で、決して裕福というわけではなさそうな普段の暮らしの様子から考えると、非常識なほどに整然としているのが少し奇妙でもある。同時に、慎ましい生活の中にあって、きわめて貴重で贅沢な、守るべき一家の誇りがそこに表現されているようにも見えた。

おばあちゃんの部屋は、“ひとり博物か”だった

 一昔前までは、どの家にも織り機があったというが、今では村に数軒もあれば多いほう。刺繍をする女性も少なくなって、「近ごろの若い人は針も持たなくなった」と嘆くおばあちやんもいたけれど、村の教会へ行くと、やはり刺繍はこの民族にとって重要な意味を持っていることが分かる。
 ルーマニアでもっともポピュラーなのはルーマニア人が信奉するルーマニア正教だが、トランシルヴァニアのハンガリー人の多くが信じるのはプロテスタントとローマ・カトリック。ローマ帝国衰退後、モンゴルやトルコなどの侵攻により、幾度となく戦場となったトランシルヴァニアでは、教会が人々の精神的な拠り所であり、身を守るための要塞でもあった。
 プロテスタント教会といえば、装飾が少ないシンプルな教会というイメージがあるが、ハンガリー人のプロテスタント教会は、とても自由。なにしろ、壁一面に赤や青の刺繍布が飾られているのだ。聖書にも刺繍布のカバーが掛けられている。柄には文字と同じようにひとつひとつ意味があり、ヒエログサフのようにさまざまな聖書のメッセージを伝えているという。ある教会の司祭によれば、16世紀の宗教改革後は、カトリック教会をプロテスタント教会に改装して使うことも多く、そのころから村の女性たちが刺繍を飾ったり、ハンガリー人のアーティストがまるでイスラム教のモスクのタイル画のように格子状の天井画を描いたりして、教会を自由に飾る習慣が始まったらしい。
 20世紀の社会主義政権時代も含め、これまでトランシルヴァニア地方のハンガリー人にとって、平和な時代はあまり長く続いたことがない。ハンガリーに住むハンガリー人でもなく、ルーマニアに住むルーマニア人でもなく、本当の意味では国を持たない人たち。でも、1000年以上もの間、この地で生き抜いてきたことは現実で、トランシルヴァニアこそ故郷たり得る場所なのだ。その複雑な思いを、彼らは生まれながらにして美しい刺繍や華やかな衣装、独創的な絵や軽快な踊りなどに昇華させる術を知っているのに違いない。
 おばあちゃんたちの部屋は、彼女たちが実際に生きた時代と、ともに暮らした家族と、そのほかさまざまな人生の悲喜こもごもとを、生涯をかけて集めて展示した、さながら夕”ひとり博物館”。一針一針に思いを込めて白い布を刺繍で埋め尽くしていく執念は、まぎれもなく本物で、そこはユートピアというより、彼女たちの生き様をひしひしと感じる空間だった。
 シク村育ちのジョルトス・クララさんぱ、世話好きで涙もろい、愛にあふれた女性です。同じ村のヤーノシュさんと結婚後、二人の息子を育てました。長男ぱ父親似、次男ぱ母親似で、どちらも大工さんになりました。孫ぱ小さな男の子が2人。今ぱ、以前メイドとして働いていたハンガリーの家の女性を引き取って、夫婦で面倒を見ています。最近、向かいの家に住んでいたお父さんを亡くしました。村の女性たちぱいつも赤い衣装を着ているのですが、知らせを聞いてすぐに、みんな真っ黒い衣装に着替えて集まってくれたそうです。
 「清潔の部屋」ぱ、普段ぱ使われることのない部屋です。あるひとりの女性がこの家で経験した喜びや悲しみ、幸福や苦悩を、ただ静かに蓄積し続けていくことがこの部屋の役目。一歩足を踏み入れると、まるで風船から空気が抜けていく時のように、ぴんと張り詰めていたものが一気に流れ出し、彼女の人生の記憶がどっと押し寄せてくるような感覚にとらわれます。訪問者ぱそれを全身で受け止めることになります。おぱあちやんの部屋ぱ、決してユートピアでぱなく、どんな立派な博物館やお金持ちの豪邸よりも、トランシルヴァニアで生きるひとりの女性の人生を雄弁に物語っているのです。

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