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羊と樅の木の人々 レビュー

羊と樅の木の人々

必要もあって、結句長いこと写真をとっている。プロとことなり、いつもカメラを持っているわけではない。日本でカメラにさわることは珍しい。

ファインダーをのぞくよりかは、肉眼でまわりをと見こう見している方が好きだ。写真に関しては、かなり気まぐれである。

そんな自分が何故かルーマニアにはいたく執心して、同じテーマをめぐって、少なからざる写真をとっている。これもメインではなく、ぼくの仕事は書くことと心得ているので、ルーマニアのカルパート山系の奥の村に人ると、出会う人、コト、モノに関して、できるだけくわしく記録するよう心がけてきた。写真と文の両立はとかくむずかしい。

はじめはことぼか分からなかった。ルーマニアの餌取であるマラムレシュに日本人としてはじめて人ったのは1965年のこと。見るもの聞くものすべてが珍らしく、ことばは分からなくも、驚きの連続だった。直感で、ここには何か人をひきつけて止まない深い意味を秘めだあるもの”がうごめいていると思った。まだ未分化で、しかと形をなさないで、ぼくの心をうずかせる地震のようなものにひかれて、マラムレシュ(以下MMと表記する)に爾来、100回以上訪れている。

ことばをどうにか習得して、相手の姿がリアルに浮かび上がり出した。と同時に、見るもの聞くものに大きな“?”の波が押しよせてきた。その謎をとくために、本を書くことになる。MMのこと、この地域、つまりウクライナ国境に近い北ルーマニアを、そこに住む人々はヨーロッパ・キロメートル・ゼロと胸を張る。つまり、地理学からしても、MMはウラル山脈から始まるヨーロッパ大陸の正にまん中に位置する。無邪気なナショナリズムに過ぎないが、マラムレシュの人、すなわち、ルーマニア方言のモロシエニにとって、パリやロンドン、ましてやニューヨークなど、とてつもない辺境ということになってしまう。我田に水を引いて、その言や良しである。ぼく流の解釈で、また、多くの民俗学者も指摘するように、MMは原ヨーロッパなのである。ヨーロッパの古生層がこの地に脈々と息づいている。都市の文明ではなく、数百年前のヨーロッパの各地に見られた風俗、習慣、生活様式が、まだ、この地に、その片鱗を残している。このことがぼくを強くひきつけた。数十回の訪問をけみした時、遅まきながら、例えしろうとであっても、この地域にみられる事象、現象、モメントを細大もらさず知ろうと思うに至る。

どうにか仏語、ルーマニア語の文献を渉猟しながら、資料を読み終えると、実際にMMへ行く。村に一定期間滞在し、また、ウィーンなり日本なりへ戻ってくる。事象を知れば知るほど、未知の領域がぼくの前に立ちふさがった。何度行こうと、この地はまだまだ、秘密めいている。未知の土地が今もある。

ぼくは行くほどにMMの風物、風俗に魅せられた。特に、人々の心性のすばらしさには、ぞっこん惚れ込んでしまった。あたかも神の申し子のように、人々はやさしくあたたかで、亜ラテンの民族ゆえに磊落で、老若男女とも陽気である。はじめて見る外国人なのに直ちに家に迎え入れ、できるだけもてなそうとする。独裁者のチャウシェスクが猛威をふるった時でも、村の人はぼくを泊めてかくまってくれた。秘密警察も半分疑いながら、ぼくの執心には呆れたようである。幸いにも、ぼくの主に行くポイエニ村は集団化されず、まだ自由があった。政治の波に極端に翻弄されなかったことは不幸中の幸いである。

何といっても人間である。ルーマニアの農牧民に会うと、にんげ-ん! と大声で呼びたくなる。会うや否や友人となり、そこの家族の一員となってしまう。 NHKラジオのインタビューでも何度か話したが、二、三日、招かれた家に滞在して、出発しようとすると、家の人が本気で止めにかかり、涙を流したりするのである。この人たちが保っている風習や気質は、ヨーロッパの他の土地とくらべて実に独特である。熱い心情の人たちである。あの人たちは、羊を飼い、樅の木の家に住み、人として人らしく人のように生きている。人を見れば自分のことのように気づかい世話をしてくれる。人がかなしんでいると一緒にかなしみ、泣いてくれる。うれしい時にもかなしい時にも男でさえ手放しで泣いたり、吠笑する原石のような人々。

ぼくの最初の驚きは、ルーマニアに人ってフ年後に、乗り合わせたトラックの運転手ヨニカが招待してくれた弟の結婚式に参加してからだった。キすの人にとって最大のよろこびである結婚式は無礼講である。人々の顔はみなほころんでいる。向こうの畑、こちらの丘、あちらの山から、手造りの衣裳に身を包んだ人々が三々五々現われる。空はつきぬけるように青く、大地は目のさめるような緑、そこに一面にばらまかれた、甘く滴るような色した花々。歌声が方々で聞こえる。歓声、時ならぬ指笛、わが愛する自由の民で、我々はツイガンと胸を恨る人々が楽士をつとめる。シンバルつきの太鼓、これはあたりの空気をふるわせ耳にいたい程のひびきである。

シンバルが金属の棒でまともに叩かれ、大鼓がひっ切りなしにどやされる。自然とその音に歩調を合わす。胸の中はその音であふれるほどだ。ヴァイオリンは細々と嘆き節をかなで、弦からは矢でこする度、白い粉が吹っとぶ。弦は馬の尻尾であるから急にこすると、実際、いななきに似た悲鳴を上げてヴァイオリン自身くしゃみする。また、ギターである。ギターはやや横わきに縦にかかえ、膝にのせて、櫛の背やプラスチックの小片で、はじくというよりかは叩くのである。この三種の楽器が、あたりの空気をかきまぜ、音の渦、音の炎をぼうぼう燃やす。人々は、とっくに浮き足立っている。大人も子供も、いや赤ん坊までもが、宴会につき合う。次の日の朝まで、食べたり飲んだりする以外は、間断なく歌い、踊る。野生に満ち、野趣にとんだ、村の結婚式の宴のさ中にいて、いつかどこかで見た光景だ情景だ、と、ぼくはしきりに考えていた。程なく思い至る。これは正にブリューゲルの結婚式風景である。ぼくはMMの村の結婚式の光景を、あの名高い絵で何回も見ているのであった。ぼくは一気に、この結婚式を境に中世の世界、ヨーロッパの古い農村に連れ戻されたのであった。あれから何十年もたって、なお、古い風俗、習慣の顕著な結婚式が山奥の村で時に催される。

MMでは、大小とりまぜ、結婚式に100回以上、参加してきたであろう。大らか大まかなルーマニア人のこと、どこの誰が、急に宴に入ったとて驚かない、両手をひろげて歓迎する。飲んで食べて歌って踊って、気がついたら町に帰る終バスはなくて、村の家に泊まることになる。

こんなことを何度もくり返しまき返し、続けている。土くさい、世界のどこにもないような音楽を何十本もテープに録音した。何度かラジオ番組で披露したこともある。ことほどさようにルーマニアにほれこんで、実にルーマニアックになってしまった。独裁体制崩壊後は、TVチームが何度もMMに入り観光客も行くようになった。しかし、日本人のことであるから、MMをほとんど一日でつまみ食いして通過したり、番組も表面だけをなぞってお粗末なものである。 トランシルヅァニアの玉手箱、引っくり返した原色のおもちゃ箱を世に知らしめたのに、踏みにじられているような気分である。

さて、写真について。モノクロの写真は理屈ぬきに、みずみずしくエキサイティングである。モノクロの映画を見る時の感慨に似ている。

ある日、ふと、書庫の隅に大量のネガフィルムが埋れているのに気がついた。大半はMMでの撮影である。さて、これをどう処理すべきかと、時にため息をついていた。そこに、救いの主が現れた。未知谷の飯島さんが記念にMMの写真集を出しましょう、とおっしゃる。これまで、MMのカラ-写真集は、仏、伊、ルーマニアでの出版を含め7冊出している。第一冊めと弟二冊めは、大いに当たりをとった。珍しいテーマで未知の世界を追って、しかも人々の表情が何かこう神々しいことによるのであろうか。その写真集は絶版となって、今はプレミアムがついて売られている。

まず、六千枚の倍くらいのフィルムのコマを一々ルーペでのぞき込んでマークをつけた。あまりに数が多いので、編集者も呆れたことであろう。仕方ない。ぼくにとっては一枚一枚が、思いのこもったもので、ネガをのぞきこむだけで、声も聞こえ、匂いもただよってくるのである。また、写真をとった時の心の動き、胸の鼓動までかよみ返ってくる。熱い思いをいたきながら、吐息をつき、白黒反転のフィルムに見入った。それにしても、ぼくは無謀なもので、なけなしの原稿料をMMに注いで、村のすべてのモメントを知ろうとした。ここはぼくのアルカディアになってしまった。

閑話休題。ぼくはドストエフスキーの移り住んだ家、また足跡を残したほとんどの土地に行く月日があった。 ドストエフスキーはドレスデンを訪れると、すぐ、ツヴィンガー宮殿に駆け込み、ラファエッロの「システィンのマドンナ」を手を合わせて仰ぎ見、その前から長いこと動かず、絵を眺めやっては、涙をぼうだと流していたということである。 ドストエフスキーは、移り住んだ家、スターラヤルッサの夏の家でも、自分の部屋にはかならず、ラフェエッロの絵を掲げていた。レプリカはお粗末なもので、モノクロで刷りがわるく、ひどい代物であるが、ドストエフスキーは朝に夕にそれを目にして、熱い思いを捧げていたのである。このことが、ぼくをいたく感動させた。 ドストエフスキーは、この粗末なモノクロの画面を穴のあくほど見つめ、マドンナに祈りを捧げていた。彼にとっては、モノクロの画面は、何の問題もなく、たましいの中の一部と映り、また、それに思いを投影させ、あのあでやかで深沈とした色合いの絵は、肉眼に映らなくてもよかったのだろう。つまり、心の風景をそれに重ね合わせていたのであろう。 ドストエフスキーの心情がいたいほど分かる。

いいたいのは、モノクロの写真は想像力の産物で、創造につながるといっていいかと思う。ぼく達がモノクロの写真を見る場合、色彩を想像するであろうか。理想として、モノクロの写真を見る人が、実際の色彩に近づいてくれたら嬉しい。ぼくは、中学3年の時に、おもちゃのようなカメラで写真をとりはじめた。それは児戯に値するもので、何の意図もなかった。

写真に一年ほど凝って、また写真をとり出したのは二十歳を過ぎてからである。かつてとった写真を見て色彩を感じるかというと否である。モノクロのスタンダード版の映画を見て、カラーでないことにちっとも不満をいだかないのは、その底に色彩につながるという観念があるからであろうか。といいつつ、ぼくは、このモノクロ写真集を手にとる人が、その底にある色彩を思ってほしいと、傲慢なことをいってみたい誘惑にかられる。人はモノクロの写真に何を見るのであろうか。それは心の色である。西行が山家集の中で心の色にふれている。心の色とは一体何なのか。それは、いうなれば側隠の情である。あるいは、対象に心をかよわせ、はては同化してしまう情である。収められた写真を見て、思わず胸に熱い情のこもるものが多くある。いたいけな女の子のしぐさには力づけを得るが、もう会うことのない人の放つひとみの光には、心から膝まずきたくなる。

もう一度、飯島徹氏、厄介な編集に当たった鈴木冬摂氏に心から感謝を捧げたい。
みや こうせい

みや こうせい
エッセイスト。ノンフィクション、メルヘン、写真など幅広い活動を続ける。1965年以来、東欧・中央を旅する。特にルーマニアの農牧民の生活・民俗を取材。写真集は海外でも刊行され、ウィーン(国立民俗博物館)、パリ(シャイヨー宮・国立人類博物館)、リンツ、ニューヨーク、ヴェネツィアなどで写真展を開催する

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