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▲トップへ作家になったプリンセス マルト・ビベスコの生涯 レビュー

「マルト・ビベスコ」とは、20世紀前半から文筆活動をしながら外交活動を行ったルーマニア貴族のジョルジュ・ビベスコ公妃のことです。
大国に挟まれ翻弄されてきた小国から、西欧の社交界へ。家庭環境と社交界で磨かれたセルフブランディング能力の高さと顔の広さで、非公式ながら第二次世界大戦末期にスイスとトルコで情報伝達と収集役を担いました。詩人ジャン・コクトー、作家マルセル・プルーストをはじめとする文人たちとの華やかな交友関係や、イギリス史上初の労働党出身の首相ラムゼイ・マクドナルド、イギリス戦時中首相ウィンストン・チャーチルとの政治的な会話が綴られ、映画のようなドラマチックな評伝となっています。
著者は慶應義塾大学でフランス語を教えながら、長年ビベスコを研究している佐野満里子氏。著者がボイジャーに研究論文を持ち込んだことをきっかけに、電子書籍化となりました。ボイジャーでは一般の方でも魅力ある著書には発表のチャンスを作りたいと思い、電子化をサポートいたしました。
本書には、ビベスコ本人の小説(邦訳なし)の紹介が含まれます。30冊以上の著書がありながら日本では翻訳本がなく、貴重な内容となっています。
時代は違えど仕事も恋もある中で、自分を向上させるプリンセス・ビベスコの知性と勇気とエレガンスは、現代の日本で働く女性たちにも共感いただける内容です。ぜひご一読ください。
美貌の才女、マルト・ビベスコとは
プリンセス・ビベスコとなるマルト・ラボヴァリーは、1886年(日本では明治19年)にルーマニアの首都ブカレストで生まれました。16歳で結婚、17歳で母になります。美しく教養もあり、ルーマニア語、仏語、英語、独語を操るマルチリンガル。のちに発表する著書は母国語でなくすべて仏語で書かれました。愛人のいる夫とは距離を置き、社交界で文豪や政治家を相手に話すことを好みました。その後、彼女自身も多くの恋愛をすることになります。
西欧各地から帝政ロシア・米国にまで足をのばし、二つの大戦で戦場になった母国ルーマニアから追放され亡命。最期はパリで1973年に亡くなりました。
まだ女性の政治参画が難しい時代に陰ながら外交活動を行い、数多く著書を出版。文化的活動が認められて、晩年にはフランスの最高勲章として知られるレジオンドヌール勲章を受賞しています。
歴史的に貴重なビベスコ研究をまとめた電子書籍
マルト・ビベスコの研究はほとんどされておらず、日本語のWikipediaにも掲載されていません。ルーマニア文学と間口を広げても、研究人口は多くなく、ビベスコに関する記録は貴重なものとなります。30冊以上出版されているビベスコの著書も日本では、『チャーチルと勇気』のみ。未紹介のビベスコの著書から自伝的小説と言われる下記4作品をピックアップしました。佐野氏の解説により、4作の細かなあらすじが堪能できます。
- 『緑の鸚鵡(おうむ)』貴族の子どもと娘たちの物語
- 『イズヴォール、柳の里』ルーマニアの大地主貴族と農民の物語
- 『カトリーヌ=パリ』ビベスコの代表作。西欧各国に広がる貴族階級の女性たちと第一次大戦
- 『平等』貴族対庶民を主題にした物語
目次
- 序章:ルーマニアは奇跡の国?
- 特集:馬車、か活躍する国
- 特集:ドラキュラゆかりの地をめぐる
- column スナゴヴ(ツェペシュの墓)
ブカレストからトランシルヴァニアヘ
- 特集:道の旅 ブカレストからブラショフ
- columnルーマニア鉄道事情
- シナイア
- ブラショフ
- ルシュノフ要
- 特集:鉄道の旅 ブラショフからシギショアラヘ
- シギショアラ
- ビエルタン
- 特集:鉄道の旅 シギショアラからシビウヘ
- シビウ
- ビストリツァ
- トゥルグ・ムレシュ
- クルージーナポカ
モルドヴア・ブコヴィナ
- ヤシ
- 特集:五つの修道院
マフムレシュ
- マラムレシュ
- column サプンツアの「陽気なお墓」
- バイア・マーレ
ワラキア
- ブカレスト旧市街ぶらぶら街歩き
- 特集:知られざるルーマニアワイン
特集:不思議・ガレタイプのガラス
- ルーマニアみやげ
- ショッピング ルーマニアみやげを買うなら
- ルーマニア料理
- 旅の便利帖
- 旅のルーマニア語会話・指さし対応
- ルーマニアのホテル