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AVRORA - Inflight Magazine/Autumn 2003
ルーマニアの首都ブカレストは、かつて20世紀初頭には、緑が豊かな美しい街並みで“バルカンの小パリ”と称えられた都です。
しかし、社会主義体制の間に、古い教会や歴史的な建造物などが破壊され、形骸化された巨大な建物が目立つ街並みと
なってしまった。
それでも、凱旋門に続く通り近辺は、しっかりと落着いた雰囲気を残し、かつての街並みを彷彿とさせる。1989年12月の革命
から14年を過ぎ、落ち着きを取り戻した街は、観光に向けての新たな取り組みが感じられる。
興味深いルーマニアを旅してみよう。
ブカレストヘの旅
ルーマニアの国旗は赤、黄、青の三色。
赤は祖国独立のために戦った兵士の血を、黄色は麦の実りを、青は黒海を衣わしているっ国の中央を2000m級の山々が
連なるカルパチア山脈が走る。山脈は、ちょうど平仮名の[つ]の字型に走っており、[つ]の字の右下に位置する。
ところが首都ブカレストであるっまた、国の東側は黒海に接したリゾート地として知られ、国の中火にはブラショフを
中心としたトランシルヴァニア地方が広がっている。
ヨーロッパの十字路にあたるルーマニアは、昔から異民族の侵入を受けてきたが、1878年に独立を果たす。
その後2度の既存大戦を経て、社会主義体制の中でチャウシェスクの独裁政権がしかれた。
1989年の流血革命でチャウシェスク政権が終焉を迎えてから14年、
21世紀を迎えたルーマニアは様々な産業に力を入れる一方で、
各地に残る中世の面影の保存と修復に力を注ぎ、観光産業の発展をめざしている。
ルーマニアは、日本の6割ほどの国土だが、全部で29の世界遺産がある。
ブカレスト市内の見どころ
革命広場 Piata Revolutiei
1989年]2月22日、テャウシェスク大統領が共産党本部パルコ二ーで演説途中、この広場に集まった市民の激しい反発を浴び、 屋上からへUコプターで脱出を試み失敗し、処刑された衝撃的な模様が、世界中にTV放映された。この広場を取り囲んでいる建造物は、 旧ルーマニア共産党本部、旧共和国宮殿、大学図書館、アテネ音楽堂、ホテル・ビルトンなど。 旧共産党本部は現在上院の議場になっている。
凱旋門Arcul de Triumf
1922年に、第一次世界大戦の戦勝を記念して建てられた。
国民の館(議会宮殿)Palatul Parlamentului
チャウシェスク大統領が権力を誇示するために建てた巨大な建造物。 大きさでは米国防省(ペンタゴン)に次いで世界第ぶ立。 大理石やマホガニーをふんだんに使ったこの宮殿は当時[共和国の館」と呼ばれた。 地上部分の床面積33万平方メートルという巨大建造物。 現在は下院議院の地、会議場、コンサートホール、展示場、宴合場として利用されている。
旧王宮跡 Curtea veche Domneasca
レンガ追いの建抱か中世の王宮跡,ブカレスト発祥の地である。 地震や火事で大部分が破壊されているが、地下は博物館になっている, このあた0一帯はブカレスト万屋も古い工リアである。
クレッレスク教会 Biserica Cretulescu
典型的なルーマニア正教の教会。革命広場に建18世紀の建造物。
ブカレストからのエクスカーション
ブラショフ Brasov
ルーマニア第2の都市ブラショフは、ブカレストから約 16Okm。吸血鬼トラ牛ュラ伝説の[プラン城]への拠点である。 町の中心にそびえる[黒の教会]、[歴史博物館]、[要塞博物館]などが見どころ。 中世の面影を残した美しい街並は世界遺産となっている。
シギショアラ Sighisoara
ブラショフからさらに120Km 北西に行くと、中世の街並そのままのシギショアラの叫びある。 ルーマニアのほぼ中心に位置するシギショアラは、トランシル八二ア地方の中心地でもある。 1191年にザクセン人が入植して町を起こした。町のシンボルである商計台は14世紀に造られたもの。 15世紀には繁栄の絶頂期をむかえた城塞都市である。 ぜひ訪ねてみたい観光のポイントのひとつである。
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