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カメラマン 2002年2月号
もう、一昔前のこと。ルーマニアの独裁者、チャウシェスクの裁判と処刑後の映像が、世界中に報道された。そのチャウシェスクが断行しようとしていたのが、ルーマニアの工業化。農村を思いのままに破壊したが、マラムレシュ地方にまで手が届かないうちに、本人が倒された。
深い緑に包まれた自然と、木をふんだんに用いた教会群や意匠を凝らした門、色彩さがな民族衣装や歌と踊り、今も川で羊の毛から織った布地を洗う、といった伝統的な牛活。人の雰囲気が柔らかい。
ある農家を訪ねたが、その夫婦が・年間は充分に生きていける穀物や保存食がぎっしり詰まっていた。だが大きな買い物は、月に一度催される,lfで、購入するという。
広々とした草原で、動物や食物、日用品が売買されていた。馬IFというより、馬の後ろにリヤカーをつけたといった風情の人々が、あちこちから集まってくる。
値段は、馬一頭が日本円にして2~5万円、がトが1万円、子豚が5千円くらいたそうだ。売る方はなるべく高く売りたいし、買う方はなるべく安くというわけで、ゆっくり腰をすえて、草原で一日を過ごすことになる。
さてマラムレシュ地方の人々の気質に触れるのが、ウクライナ国境にほど近いサプンツァ。ここには、1930年から始められた「陽気な墓地」があり、今では政光名所こもなっている。
一人一人の木造の墓標には、軒いタッチで職業や牛活が描かれている。「私は毎日、羊毛を紡いでいました。男の子を2人育て、彼らは立派に成長しました。そのことを誇りに思っています。」「私は農夫だった、勤勉に働き、裕袖になりました。全てを子供に残します」。
「私はカーペットを織って、大きな町で売っていました。著名人にも献にしました。長男は村一番の金持ちになりました。」
人生は、満ち足りて描かれている。子供たちが先生に引率されて見学に来ていたが、そのにぎやかなこと! 手をつなぎ、はしゃぎながら、あの墓標、この墓標と見てまわる様は実に楽しげだ。
先牛も「心地なのだから、静かにしろ」などと命じない。明るくて、心が晴れ晴れする。日本の心地は、窮屈だ。サプンツァでは、死各がおしゃべりに興じるふか聞こえてきそう。「私はカーペット織りの名手だったのよ」、「あら、私だって]。ちょっと自慢話も交えて、笑っている。
© 佐藤美子 (Yoshiko Sato) 権利者に無断で複製及び転載等は禁止。