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田舎暮らしの本 2004年8月号
ルーマニアの長寿食
ヨーロッパの東の果て、吸血鬼ドラキュラで名高い辺境の国、ルーマニア。世界文化遺産の修道院がいくつも点在し、 のどかな農村風景が広がる古きよき田舎だ。そこはまた、以前から不老長寿の研究が盛んな、知る人ぞ知る地上の理想郷。 ルーマニア正教会の修道院食に、その長寿の秘密を探る。
復活祭には欠かせないイースター・エッグ。固ゆでしだ卵に手で一つひとつ食紅を塗る。・葉っぱの模様を浮き立たせたイー スター・エッグ。これも修道女たちの心遣い。・ロバイア修道院の調理場。
光明週間には修道女たちの実家から肉親たちが料理づくりの加勢に来る。
紀元2世紀初め、ローマ帝国のトラヤヌス帝はドナウ北部のダキアを武力で制圧、属州とする。このとき、ローマ人とダキア人 との混血が進み、東欧唯一のラテン民族と呼ばれるルーマニア人の原形が誕生する。15世紀にはオスマン朝に国土は侵略され、 ドラキユラのモデルとなったヅラド・ツェペシユ(串刺し公)などが勇敢にそれに立ち向かった。
1947年にルーマニア人民共和国になってのちは、1989年まで社会土義体制が続く。その結末は独裁者チャウシェスクの銃殺というセンセーショナルな事件で幕が引かれた。以後の政治・経済改革はけして順調に進んでいるとは言い難いが、2007年のEU加盟を目指して、国一体となった新国家建設が進んでいる。
また、15世紀に正教文化が花開いたルーマニアでは各地に占い修道院が残り、世界文化遺産に指定されて往時の信仰の 奔流を伝えている。全土に散在するワインの銘醸地を訪ねつつ、ルーマニア正教の美しい修道院を巡り歩くならば、最高のぜい たくとなること請け合いた。
今回のルーマニアヘの旅のキッカケは、一昨年偶然知己を得た口ーマニアン・ネットワークセンタ (RNC)の会長、田畑エルミナ・ りかるさんの一言だった。彼女はある会の席で、こう私にのたまったものだ。
「今はやりのスローフードの原点は、修道院の食事にこそあるんです。ルーマニアは昔から不老長寿の研究も盛んで、食をテーマに したらとても面白い国です。一度行ってみませんか?」
じつは筆者は、まだルーマニアが社会主義政権の時代、3度ほど訪れている。当時、ワインがおいしい印象はあったが、食事のこと はほとんど記憶に残っていない。 自身ブカレスト大学医学部で内分泌と老年切学の学位をとったドクター田畑のすすめでもあり、私は.もニもなく彼女の誘いにのることにした。
取材の時期を4月にしたのは、この月にはクリスチャンにとって一年中でもっとも大切な行事・復活祭があり、この日を境にその前後で 修道院での食事がガラリと様相を変えると聞いたからだ。つまり、復活祭前の七週間(大斎と言う)は粗食または断食の期間でもあり、 反対に復活祭後の.週問は訂凡明週間1として年にー度のごちそうにありつける日々なのである。せっかくのチャンスでもあり、 訪ねたニヵ所の修道院では、斎料理とズレ〃の料理の二通りをつくってもらうことにした。
一日二食質素な食生活
最初に訪ねたのは首都ブカレストの西、ァルジェシユ県のロバイァ渓谷にある同名の女子修道院で、現在ここでは35名の 修道女が日々修業に励んでいる。標高が500□ほどある谷間は、厳冬期には氷点下10度にも気温が下がるらしい。
料理担当の十名ほどの修道女がつくってくれたのは、斎料理として「ジャガイモのチョルバ(スープ)」と「グリーンピースの煮込み」 それにハレの料理として「魚のサルマーレ」「牛肉入りサラダ(サラダ・デ・ビユフ)」などたったニンャガイモのチョルバは文字どおりの 野菜スープで、これにサワークリームを加えると斎がとれ、日常の修道院生活でごく普通に供されるスープとなる。グリーンピースの 煮込みには、ピーマン、イタリアン・パセリ、サヤインゲンが加わり、豆の甘味が醸されたしつに美味な一品だった。
サルマーレはルーマニアの伝統料理で、一般にはひき肉をキャベツで包んで煮込むが、ロバイア修道院では普段の食事でも肉類は ほとんど食卓に供されることはない。
この日は光明週間であったために白身の魚がおごられたが、斎のときには魚の代わりに米が使われるという。牛肉入りサラダはまさに 光明週間ならでは(肉が入っているという意味で)の一品で、湯がいて細切れにした野菜に同じく細切れの茹でた牛肉を遠慮がちに加え、 マヨネーズで和えただけのシンプルな料理だ。
普段の食事のラインアップを見ただけでも、いかに質素なものか分かるだろう。しかも、ルーマニア正教の修道士たちは、 一日に二回しか食事をとらないのがふつうで、それでいて栄養失調に陥ることもなく、長寿をまっとうしているのだ。
「彼らの食事はじつに質素なものです。でも皆、間違いなく健康です。どこかで栄養素の分子転換ともいうべき 作用が起きているのかもしれません。あとは、信仰心の篤さに帰するしがないでしょう」 とは、ドクター田畑の所見である。 そういえば、私は日ごろドクターからいただいた聖油を愛用しているが、見た目は何の変哲もない植物オイルが、 聖職者により聖別された途端に万能薬に変化する奇跡も、聖なる力の介在といったものを想定して初めて理解できるのだ。 とはいえ、修道女たちの野菜中心の日々の食生活が紛れもなく健康と長寿の秘けつであることも、また動かすことのできない事実なのである。
食べる欲求から解放された修道士という生き方 もう一軒訪ねたのは、ロバイアから南に70Kmぽかり隔たったコットミアーナ村にある 同名の男子修道院だった、ここには五人の修道士がいるほか、1292年に建てられたという古い礼拝堂が圧巻だった。
ここの料理担当は見るからに体格のいい中年のゲオルギッツァで、やはり斎料理二品と、光明週間ならではの料理も二種類つくってくれた。 斎料理は「野菜スープ」(チョルバ・デ・ザザバット)と「修道院風煮込み」(ギベチュ・カルガレスク)で、野菜スープには7~8種類の 野菜が使われ、仕上げにディルとイタリアン・パセリのみじん切りを浮かせた。修道院風煮込みはロバイアの「グリーンピースの煮込み」 とほぼ同じもので、隠し昧にリンゴが使われていたあたりが目につく相違点だった。
ハレの料理は「肉とジャガイモの煮込み」と「ガルーシュテのスープ」である。煮込みに使われた肉はラムで、ジャガイモとの相性もよく、 トマト・パスタを加え、じっくり時間をかけて煮込んだそれは、文字どおり煩が落ちそうなほど美味たった。まさに光明週間を迎えた喜び もろとも煮込んだ、シェフのゲオルギッツァ人魂の一品である。
ガルーシユテは粗びきの小麦粉を卵と酢、垂曹で練り固めたもので、これを熱いスープでひと煮Lぐちさせて、別につくりおきしておいた 野菜スープに浮かせたものが「ガルーシユテのスープ」だ。これはロバイアでもつくってくれたが、淡泊な味付けながらガルーシユテのソフトな 食慾が絶妙で、何度もお代わりを所望したくなる不思議なスープである。
このほか、光明週間の一週間、ルーマニア正教の修道院で共通につくられるのが、赤いイースター・エッグと甘いコゾナックだ。 イースター・エッグは人の手により食紅が塗られ、修道院の食卓に山と積まれる。コゾナックはケーキに近いパン菓子で、 日本のようかんに近いラハットがパン牛地にいっぱい詰まっている。ふだん汁‥いものをめったに目にできない修道士たちにとっては、 光明週間にだけ振る舞われるコゾナックは、どんな高級菓子もかなわないステキなデザートと映るに違いない。
正教会修道院の食事を取材して分かったのは、そこに修道院独自の料坪があるわけではなく、ルーマニアの一般市民が食べる ものとさほど変わらないということだ。大きく異なるのはそれら料理に使う食材で、脂肪やタンパク質を含むものは極力避けられ、 ジヤガイモ、トウモロコシ(ママリガの材料)、パンなど、デンパンを多く含む素材がベースになっている。
「彼らは二回の食事を、まったく同じ料理ですますこともしょっちゅうです。修道院の生活では食べることはほとんど思考の範疇になく、 ひたすら祈ることに時間が費やされます。彼らはじっさい皆長寿ですが、不老長寿を認識しているものは誰ひとりいないはずです」 と、 田畑ドクター。
現実に彼らのつましい食生活を目の当たりにすると、グルメだ。スローフードだなどとかまびすしい俗界が、なんともおぞましく見えてくる。 老年病学の本場で悟ったのは、長寿はけして胃(食事)の問題ではなく、心の右り様こそが人事だということだった。 修道院に滞在した一週間、修道女たちの無垢なほほ笑みがどんなにごちそうであったことか。
トラベルメモ
ビザ | 不要 |
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通貨 | レイ(1円=約300レイ) |
言語 | ルーマニア語(第1外国語は英語) |
日本からのアクセス | 日本から直行便なレアムステルダム、パリなどを経由して首都ブカレストまで行く便多数あり。 |
時差 | 一6時間(冬季一7時間) |
宿泊 | 大きな町には、四つ星までのホテルあり。田舎では、民宿やホームステイが可能。 |
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