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▲トップへブラン城の中庭 ルーマニア トランシルヴァニア地方・ブラン村
JSPニュース 2004年春50号
プラン城は吸血鬼ドラ半ュラの居城として有名ですが、これは小説家プラム・ストーカーの創った伝説で、史実とはかけ離れているようです。ただ、中世の面影を色濃く残している街シギショアラの時計台の側にあるドラゴン亭(現在はレストラン)に1431年~1435年の約4年間、ドラ半ュラがハンガリー王によって幽閉されていたことは史実です。
我々にとってルーマニアは縁の薄い国なので、簡単にプロフィールをご紹介すると、人口約2,000万人、国土の面積は本州とほぼ同じ、2世紀初頭ローマ帝国のトラヤヌス帝がドナウ北部を制圧しましたが、このときローマ人とダギア人との混血が始まり、東欧で唯-のラテン国家誕生の切っ掛けとなりました。その歴史のせいなのでしょう、ルーマニア人はイタリア語を覚えるのは早いそうです。主な産業は農業で、それも農耕馬を中心にした前近代的なもので、機械化は全くしていません。黒海に面したドナウデルタ地方にはペリカン鳥が群がるほど豊かな自然が残っています。蛇足になりますが、高速道路は1本しかありません。
現在のような国になれたのは、1920年の第一次世界大戦に参戦し、戦勝国となり、長い間支配していたハンガリー帝国から念願のトランシルヴァニア地方を獲得したからです。その後、ナチスドイツの野望によリ領土は大幅に縮小しましたが、紆余曲折の結果、1947年ルーマニア人民共和国が誕生し、いったん手放したトランシルヴァニア地方を再獲得し、現在の国境を確立できたのです。 ルーマニア正教徒数は全国民の87%を超え、貧しくとも心豊かな生活を送っているようです。
プラン城の歴史は古く13ワワ年、ドイツ人がこの地に侵入してくるトルコ軍をいち早く発見するため、ブチェジ山麓の小高い山の上に築城したのだそうです。14世紀にはワキラ公ヴラド1世が居城としたり、ルーマニア王室の離宮だった時代もありました。城はよく保存され、写真はドラ半ュラが出てきそうな中世の狭い急な階段を登って、最上階から写したものです。ルーマニア観光の目玉的存在です。
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