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▲トップへブラン城の中庭 ルーマニア トランシルヴァニア地方・ブラン村
Morning Calm 2003年11月号
ルーマニア北部には17~18世紀の木造教会が点在する。
豊かな森林を背景にしたこの地方独特の建築で、世界遺産として大切に保存されている。
森から生み出された教会
ルーマニア北部、ウクライナと国境を接するマラムレシュ地方は20世紀の初頭まで、面積の9割が森林に覆われていた。松やカシの木々が欝蒼と茂り、山間の村で人々は伝統的な生活スタイルを継承してきた。木を慈しみ、祈りの場所も緻密な木造で作り上げてきたこの地には、世界遺産に指定された貴重な教会や修道院が点在している。
燦々と陽光が降り注ぐ青空に向かって、すくっと聳え立つ木造教会。その多くが17世紀から18世紀にかけて建造され、そのうち8つが世界遺産に登録されている。とりわけ最も古いイエウドゥ教会を、真っ先に訪れた。1364年の創立で、改修を重ねながら年月を経た木材は、光を反射して銀鼠色に輝いている。教会の上部はゴシック形式の尖塔で、遠目にはすくっと立つ一本の木のようにも見える。また構造的には、冬季の降雪を考慮して雪を遠やかに落とす巧妙なデザインでもある。上部は外敵を注視するための見張り台として活用されていた。
1391年に遡るのが、ブルサナ教会。カシの横木を用いたこの教会は、元々は別の場所にあったものを、広大な敷地に恵まれた修道院に付設するために1806年に移築された。
マラムレシュの人々
この地方は木造文化の宝庫として知られ、教会や民家のような建造物は勿論、門や柵も木で造られている。10数年前に崩壊した、チャウシェスク政権。かのチャウシェスクが強行しようとしたのが、工業を基幹産業とするための農村の破壊。しかしマラムレシュ地方を中心とした北部国境地帯には、さすがに手がおよばなかった。「木の文化」は、そぞろ歩きする道すがら新鮮な驚きとなって目に飛び込んでくる。
高く立派な門には、2ヵ所入り口が設けられている。大きな方は荷馬車が通り、小さな方は人がくぐる。表面には大胆な模様が彫られている。自然をモチーフにしており、キリスト教が伝播した時代より以前のアニミズムを彷彿とさせる。門を作るには、3人がかりでほぼ1ヶ月かかるという。家具も勿論木材だが、こちらはカバやひいらぎも用いている。
色鮮やかな民族衣装をまとった人々が、そばを通りすぎた。草原で草を食む羊の大群を目にするが、被服や壁掛けに、羊毛は大切な素材だ。刈り取った毛は川で丁寧に洗ってから、乾燥して加工する。白い綿のブラウスやシャツに色鮮やかなウールのスカートやチョッキを合わせるのが、マラムレシュ独特のスタイルで、黒、青の鮮明な色合いが好まれている。丘陵地の緑と木肌の色合いに、民族衣装が陶然と溶け込んでいる様は、絵本を開いたようなのどやかさだ。
深い青の教会
マラムレシュ地方の西隣、ブコヴィナ地方にはフレスコ画の素晴らしさのゆえに、世界遺産に指定されている修道院がある。 時の彼方から運ばれたきた、静逸なたたずまいのヴォロネツ修道院。
深い青をたたえた独特な色合いのために、「ヴォロネツ・ブルー」と呼ばれるフレスコ画の色合いは神秘的でさえある。完全に乾く前のモルタル(石灰と砂を混ぜて作る)の壁に水彩絵具で描かれる技法だが、乾く間に石灰層に色が染み込むために、耐久性がある。多くは建物の内部に描かれるが、ここでは外壁一面に広がっている。
修道院が建造された15こ16世紀、ルーマニアは黒海をはさんで強大なオスマン帝国と対峙し、その脅威を受けていた。表面的には、れっきとした公国を成していたこの地方だが、事実上はオスマン帝国に従属し、重い献納金を課せられていた。黄金や、織物、穀物、それに羊までもが帝国の都コンスタンティノポリス(イスタンブール)に向けて出荷を強いられていた。経済的に困窮しつつも、譲歩を続けながら独立を保っていたのが、当時の時代背景だ。
オスマン帝国下のキリスト
オスマン帝国の人々が信奉するのはイスラム教だが、人々は自国のルーマニア正教を核として独立を守り抜こうと努めていた。キリスト教の故事が絵巻物のように広がり、「最後の審判」のフレスコ画には、天国に昇るキリスト教徒が描かれている。この地にイスラム教徒が定住したり、モスクが建設されることはなかったものの、不安定な時代を生きる人々の心の拠り所となっていた。
近くのモルドヴィツァの修道院のフレスコ画にはコンスタンティノポリスの攻防が描かれている。ビザンチン帝国の牙城が陥落する経過を、同じキリスト教徒として万感迫る思いで絵に託したのだろう。この他に3つの修道院、スチェヴィツァ、フモル、アルボレが世界遺産に登録されている。時は流れ、風雨に洗われて、壁画に描かれた思いも今は、過去を映し出す遺産となった。近年は、ルーマニアとトルコはお互いに旅行目的地として人気があり、往来が盛んだ。近隣諸国と理解を深め、友好関係を築くこと。いつの時代も、平和を求める努力が絶えることは決してないだろう。
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