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国際人流 第272号
ルーマニア北部に独特の教会建築を見る(仮題)
査証免除措置国となる
ルーマニアは東で黒海に面し、周囲をモルドヴァ、ウクライナ、ハンガリー、セルビア、ブルガリアに囲まれた、東欧の国です。本州とほぼ同じ面積の国土に2200万人近くの国民が暮らしており、緯度的には北海道にほぼ相当していながら、豪雪地帯から夏には40度近くまで気温が上昇する沿岸地帯まで、多岐にわたる自然を持ちます。
昭和34年、わが国とルーマニアは第2次世界大戦で途絶していた外交関係を再開しました。また、21年9月1日、ルーマニアはわが国の査証免除措置国(試行)となりました。これはルーマニアが19年1月1日に欧州連合(EU)に加盟、EU側からの要請を受けたことによります(小誌第270号NEWS SCOPE参照)が、21年は外交関係再開よりちょうど50年を迎えた年でもありました。これを記念した行事も多数行われました。同年5月には秋篠宮殿下・同妃殿下がルーマニアを訪問されたのをはじめ、19年には麻生外務大臣(当時)が訪問。ルーマニアからは15年にラドゥ政府特別代表(旧ルーマニア王家王子殿下)、17年にバセスク大統領(当時)が来日しています。
ちなみに、わが国に在留するルーマニア人は2520人(平成20年末時点)で「日本人の配偶者等」が1047人と全体の約40%を占めています。ルーマニア在留邦人数は287となっています(平成20年10月1日現在)。
今回はルーマニアの観光の魅力について、ルーマニア政府観光局局長のアレクサンドル・シェルバンさんにお話をうかがいました。
ヴラド・ツェペシュ公の生誕地
中世の城塞都市がそのまま残るシギショアラ歴史地区
ルーマニアの国土は、国土の中央にあるトランシルヴァニア・アルプスを境に、ドナウ川河口部のドロブジェア地方、モルドヴァ寄りにある北東部のブコヴィナ地方とモルドヴィア地方、ブルガリアと国境を接する南部の平野のオルテニア地方とムンテニア地方、トランシルヴァニア・アルプスで隔絶された北西部高地のトランシルヴァニア地方、マラムレシュ地方、クリシャナ地方といった4地方に大別されます。首都ブカレストはワラキア地方に位置しますが、「ルーマニアの魅力は北にあります」とシェルバンさんは語ります。
「ルーマニアを訪れる人はブカレストをまず訪れると思いますし、また黒海に面したドブロジャ地方は、気温が40度近くまで上がることもあり、ビーチリゾートとなっています。これらの場所にも魅力はいろいろありますが、しかしルーマニアの文化的な魅力はむしろモルダヴィアやトランシルヴァニアなど北部の地方に多いのです」
最初に紹介してもらったのが、〝トランシルヴァニア地方の真珠〟とも呼ばれる街シギショアラ。ルーマニアのほほ中央に位置するこの街は12世紀末から建設が始まりましたが、モンゴル帝国やオスマン帝国の侵攻を受けたこともあり、街全体が城砦化され、防御塔が建設されました。現在も街全体が中世の雰囲気を残し、現在も内部に人々が居住する唯1の中世城砦都市となっていることもあり平成11年に「シギショアラ歴史地区」として世界遺産にも指定されました。
「シギショアラの見所は、高さ64メートルに達する時計塔です。現在の塔は17世紀に建設されたものですが、時計は今も街の人々のために時を刻み続けていまして、木製の小さな人形が時にあわせて動くよう仕掛けが施されています」
シギショアラといえば、〝ドラキュラ伯爵〟のモデルとなった15世紀のワラキア公爵〝串刺し公〟ヴラド・ツェペシュの生誕地としても有名です。
「ヴラド公の父親ヴラド2世ドラクルはシギショアラへ亡命していたことがあり、ヴラド公はその最中に誕生しました。街にはヴラド公の生家が今も残されていますし、公にちなんだモチーフが街の各所で使われていますので、訪れた方は公の顔を幾度も見ることになると思います」
300年前の建物が今も生きるマラムレシュの木造教会
シギショアラのあるトランシルヴァニア地方の北隣にあるマラムレシュ地方は、さらに北にあるウクライナとの国境付近が山岳地帯となっています。
「石の文化のヨーロッパ」と言われることもあるように、欧州の歴史的建築物は圧倒的に石造が多いのですが、この地方は昔から豊かな森林資源に恵まれていたためか、欧州の他地域には見られない独特の〝木の文化〟が生きています。その最高の表れが、世界遺産にも指定された「マラムレシュの木造聖堂群」。
「ルーマニアの宗教は正教会なのですがマラムレシュ地方はかつてローマン・カソリックのオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にありました。18世紀ごろ、帝国はこの地方で石造の教会を建設することを禁じていたのですが、マラムレシュの人々は木造の聖堂を建設したのです」
聖堂本体が小さく見えるほどに高く切り立った屋根と塔が特徴的なこれらの木造聖堂群。また屋根は大きな板を張り合わせるのではなく、大量の燕尾型の小さな木片を、屋根瓦のように張り合わせています。また、釘が1本も使われていないのも特徴です。
「マラムレシュ地方は、冬場になると平野部でも積雪が1メートル以上になる、豪雪地帯です。急傾斜した屋根は、雪の重みで屋根が潰れないよう、効果的に捌くためのもの。これらの聖堂では今も礼拝が行われており、聖所として今も人々の集う場所となっています」
「マラムレシュの木造聖堂群」は、40か所以上の聖堂から成っています。これらを順に巡るだけでも、きっと素晴らしい体験になるでしょう。
モルドヴィア地方の修道院
マラムレシュ地方からトランシルヴァニア・アルプスを東へ越えると、ウクライナやモルドヴァと国境を接するモルドヴィア地方とブコヴィナ地方があります。15世紀にオスマン帝国を撃退したシュテファン大公とその後継者たちによって、この地にあったモルドヴァ公国は最盛期を迎えます。宗教的・文化的にもシュテファン大公によって、この地域に正教会の寺院や修道院が建設されるなど、振興が進みました。
「ブコヴィナ地方には、『5つの修道院』と通称されるモルドヴィツァ、アルボーレ、フモール、ヴォロネツ、プトナ、スチェヴィツァをはじめとする修道院が多数、建設されています(スチェヴィツァを除く修道院は、『モルドヴィア地方の教会群』として世界遺産にも指定されています)。修道院と言うと、白い外壁と、宗教画に覆われた内部という印象を持つ方が多いでしょう。しかし、シュテファン大公をはじめとする当時の領主たちによって建設された、プトナを除くこれらの修道院は、内壁だけでなく外壁まで美しい修道画が描かれているのです」
例えば、15世紀に建設されたモルドヴィツァ修道院の南壁には、7世紀のササン朝ペルシャのコンスタンティノープル(現イスタンブール)襲撃を題材にした壁画があります。
「ところが、攻め寄せている軍勢の軍装は、当時のオスマン軍のもの。つまり、この壁画は戦勝記念でもあるのです。フモール修道院でも敵方にオスマン軍を描いた壁画があります。キリスト教を分かりやすく描いた壁画の中に、当時のルーマニアの情勢を織り交ぜた傑作です。〝ヴォロネツの青〟とも呼ばれる鮮やかな青色の壁画が美しいヴォロネツ修道院や、天国や地獄の情景を描いた最も保存状態の良い壁画を持つスチェヴィツァ修道院なども、ぜひご覧頂きたいですね」
なお、ルーマニアへはウィーンやフランクフルトなど欧州の空港から首都ブカレストに入り、国内の都市間移動は鉄道を、観光地へはバスやタクシーを使うのが便利とのこと。ワラキアの平原やトランシルヴァニアの産地などの風景を愛でながらの旅も、印象的な体験になるでしょう。
(資料・写真提供:ルーマニア政府観光局)
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