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鳥が休める木になりたい

via 2011年5月号

文 みやこうせい/川上・L・れい子

 長年、ユーラシアを歩きまわっているが、ルーマニア人ほど磊落な民は少ない。 村の道を歩いていると、小学生までが話しかけてきて、「家に来ない?疲れているでしょう?」という。 誘われるまま、その家に入ると、必ず温かで優しい家族がいて、 何も言わないのに食事の準備をし、プラムで作った地酒ツイカや自家製 の心づくしのケーキをふるまう。
 ぼくのルーマニア体験は長く、かの悪名高き独裁時代にも、臆せず通って、ルーマニアの本をいくつか書き、 また、仏蘭西、イタリア、ルーマニアをはじめ、日本で も写真集を出した。主要な国で写真展も開いた。この国の人と風物に惚れこんでしまったのである。 ルーマニアへ行くこと、158回。これぞ完全なルーマニアックである。 ルーマニアを現地ではロマニア、つまり、ローマ人の国とよぶ。ラテン系の人々である。 人はともかく純情で、出来立てのパンのようにほっこりとした温かさにはいつも胸が熱くなる。 ルーマニアでは人を自分のことのように思う。最近は日本の若者もルーマニアに出没する。 ずいぶん村びとに世話になって帰るが、礼状一本書かない心無さである。 ルーマニアで特に人情の厚いのは北北西の山合いのマラムレシュで、過去どれほど多くの家に入り泊まったかわからない。 初めての人を友人だ、家族だといい、数日いて別れるときは、涙を流して、もう少しいなさいというのである。 数日出発を延ばしたことが何度もある。ああ愛しい人たちよ。
 写真のこの子はマリア。こんな子が村には沢山いる。けがれなく自然そのままの人々。 誰に向かっても無邪気に話しかける。この子は大きくなったら、枝の多くある本になりたいといった。 理由を聞くと、「鳥さんが沢山来て休めるでしょう」と澄まし顔。その時から数十年。 この子は橋梁設計のエンジニアになった。村にはコンピューターが入り始めたが、なお、人々は魂を失わず、 お互いいたわり慈しみ、すこやかに暮らしている。

みやこうせい
エッセイスト、フォトアーチスト、翻訳、批評と、幅広く活躍。著書「ルーマニア一人・酒・歌」(東京書籍)、「マラムレシュールーマニアの村のフォークロア」(未知谷)、「ユーラシア無限軌道」(木犀社)、近刊「明日は貴族だ!」「カルパチアのミューズたち」(ともに未知谷)。訳書「ボリボン」「もしゃもしゃちゃん」「サンタクロースとぎんのくま」(ともに福音館書店)共著「そのへんを」(まどみちお氏と、未知谷)ほか、多数。ルーマニア政府より文化勲章受章、ルーマニア文化会議名誉会員。写真展、講演多数。

懐かしくのどかな東欧のラテン国家
 ルーマニアと聞けば、「コマネチ」、「ドラキュラ」、「チャウセスク」だろうか。 旧社会主義時代の暗く貧しいイメージをいまだ強く持たれている国だ。 しかし実際は、ローマ人による支配から克明Romaniaが生まれたように、 中東欧で唯一ラテン民族の血をひき、ラテン語起源の言葉を話す、陽気なラテン国家だ そして各国の融合といえる美食とワイン、ペリカンが生息するドナウデルタや数々の修道院など世界遺産に恵まれている美しい国だ。
 念願のEU加盟を2007年に果たし、観光においても発展しつつあるが、 ルーマニアらしい素朴さや未発達な不便さも含めた「そのままの魅力」をぜひ感じてほしい。
だからこそいま、ルーマニアへ行こう!

トランシルヴァニア地方

~小説ドラキュラの舞台となった場所~
 ラテン語で「森の彼方」を意味するトランシルヴァニア地方。 ルーマニア国土中央を「つ」の形をして走るカルパチア山脈付近には、 森や険しい山々に囲まれた町や要塞教会など、どこかミステリアスな雰囲気漂う場所が多い。
 吸血鬼=ドラキュラとして有名になった小説『ドラキュラ』の舞台はルーマニア。 中世ルーマニアのワラキア公国君主が、当時オスマントルコと闘う際につけていた勲章にドラゴンが書かれていた。 そのことからドラゴン・悪魔を意味した『Draculドラクル』と呼ばれ、 その名を受け継いだ息子が人質を串刺しにする残虐さから、小説『ドラキュラ』のモデルとなった。
 そんなドラキュラ親子ゆかりの場所は屈指の観光スポットだ。 彼の生家は街全体が城壁に囲まれた世界遺産のシギショアラにある。 街のシンボルである時計塔がどこから見ても絵になり、オレンジ色の街灯に照らされた、 ひんやりとした石畳を歩けば中世にタイムスリップしたように幻想的だ。
  首都ブカレストから日帰りで行ける観光地ブラショブはザクセン系ドイツ人が築いた街。
 レンガ色の瓦屋根の街並みや力フェが並ぶ広場はよく整っている。 街並みを一望できるトウンパ山から、美しい街を眺めていたら、 トウンパ山はドラキュラ公が処刑場としていた場所だとか。 マントを広げ飛び立つ姿はここで描かれたのか、そう思うとなんだか恐ろしい。
 町の郊外にはドラキュラ城と言われるプラン城がある。ここはドラキュラ公の祖父の居城だった。 うっそうとした木々に覆われ、急な坂を登ってたどり着く城は確かに不気味。 まるで迷路のような隠し部屋や狭い階段、動物の毛皮にドラキュラマニアは盛り上がるが、 彼のベッドが小さいことから妙な親近感を覚える。残虐だったがその統治の技は素晴らしかったと いわれるドラキュラ公。ヒーローは小柄なことが多いのはあのナポレオンも同じだそうだ。 後に王室の離宮ともなったため、エレガントな家具や調度品、ルーマニアならではの陶器暖炉も残り、 城内の回廊から見える中庭もまた趣がある。
 さてルーマニア料理で一番お勧めなのが、ブラショフ発祥とされるチーズの揚げデザート 「パパナシ。さっくり・もちっとした食感が人気で、たっぷりのサワークリームと果物ソースが 絡むさわかな甘さはルーマニア独特。ドラキュラ同様、多くの人を虜にしたパパナシで、 トランシルヴァニアの思い出は忘れられないものになるだろう。

マラムレシュ地方

~素朴で豊かな田舎生活~
 ルーマニアの魅力がもっとも感じられるのは「田舎」だとルーマニア人も言う。 旬の食の恵み、四季の美しさ、そして何より人々の飾らない美しさと優しさが常に田舎にはある。 「観光客として来て、友達として帰って」という標語は、ホスピタリティー あふれるルーマニア人の温かさそのものだ。
 『生きた博物館』とたたえられるマラムレシュ地方もその一つ。 トランシルヴァニア地方のさらに北でウクライナに面した地域には、ミレーやブリューゲルが 描くような田園風景や生活が残っている。どこまでも続く広大な畑に積まれた干草の山、 羊や牛を放牧し、馬が引く荷台に乗る村人たち。雄大な自然や独特の伝統文化に癒されるだろう。
 見所のひとつは木造の教会群。樅の木が主体で骨組みから屋根まですべて木造 、幹の部分を利用したそぎ板を重ねた屋根も圧巻だ。しかし村人にとって 教会は祈り集う場所でしかなく、それらが世界遺産と知らないことも。そんな実に素朴な人たちは、 外国人に対しても偏見ひとつなく、会えば家の中に招き入れてくれる。「さあ自家製蒸留酒だ」 「さあ私の友達や家族を紹介するよ」とあっという問に親しくなれる。日本人である私かルーマニア語を話すと 「日本でもルーマニア語が話されているのね!」と楽しい解釈をしたり、笑いは絶えない。
 子ども達は普段からトレードマークのカラフルなほおかむりをしているが、 日曜や行事になれば伝統衣装に身を包む。細かい刺繍が施されたシャツ、 地域色異なる色鮮やかな羊の毛の飾りスカートに豚の皮の靴。彼らの生活は常に自然と動物との共存だ。 道端でおしゃべりをしながら織物をする女性達、彼女達の芸術作品である壁飾りにもなる絨毯やクッションカバーで 家の中は実にヴィヴィッドに装飾されている。観光慣れしていないことが魅力なのだが、 観光客が来ればはにかんだ笑顔で衣装を見せ、踊りを披露、いつでも歓迎される。 ここには経済格差から来るひがみや悲しみはないようだ。
 陽気な彼らの原動力となっているのは村ならではのさまざまな伝統行事や祭りだが その一番は結婚式だ。村中で祝い、飲んで食べて踊り明かす。全然堅苦しいものではなく、 人生最大の楽しみとも言われる宴会は本当に物語の世界だ。そんな結婚式の様子は、 本号の表紙撮影者みやこうせい氏の著書がおすすめだ。鮮やかな写真と音楽が流れる情景から、 人間本来の生き方を垣間見ることができるだろう。

ブカレスト

~東欧ヨーロッパの街角から~
 ドラキュラやマラムレシュ地方をイメージして首都ブカレストの空港に降り立つと、 いささか拍子抜けするかもしれない。ブカレストの名・記録は、 ドラキュラ公ヴラッドーツェペシュにより始まったとされ、彼が築いた砦が旧王宮跡として残ってはいるのだが……。
 空港から市内への道は意外と普通のヨーロッパの町という印象を抱く人が多い。 高級外車がひょっとすると東京よりも多く走り、西欧資本の大型店舗が並び、 投資を促す広告と建設中物件が多いからか。これがルーマニアらしいかはともかく、こちらもまたルーマニアの一面なのだ。
 第一次大戦の勝利を記念し建てられた凱旋門、湖と緑が広がる公園、市内へと続く並木道。道は凸凹だが、 緑や花壇の花はよく手入れされている。音楽堂や美術館エリアは、壁こそ排気ガスで薄汚れているが装飾は立派。 その昔「東欧のパリ」ともたたえられたことが理解できる。ロマーナ広場エリアには邸宅を改築したカフェやレストランも多く、 昼時にビジネスマンは優雅なランチを楽しんでいる。イタリアの高級ブランド店も近年出店が相次ぎお洒落なマダムも 増えたと見とれていたら、次の広場では露店商売の雑然とした人込みにもまれ、お金を請うジプシーに出会った。 日本人が考えるお洒落なヨーロッパなようで、どこか中途半端、それが発展途上のブカレストかもしれない。
 さて忘れてはならないのが、89年にチャウセスク率いる共産主義が革命により終わったこと。 今も残されている銃撃戦の跡やチャウセスクの負の遺産から当時の出来事が思い出される。
 国民の館と呼ばれるチャウセスクの宮殿。遠くから見ても威圧的、シンメトリックなデザインは いかにも社会主義的で異様な巨大さだけが目立つ。観光名所となった今は、ガイドがここには 世界中から集められた大理石を何トン、特注絨毯が何メートル、このために何人が働いた、 とその大きさや権力の大きさをたんたんと伝える。とにかく豪華に見えるよう贅を尽くして作られ、 これでもかというほどのシャンデリアや扉や手すりの木彫りの彫刻、当時搾取され続けた国民の嘆きの声を感じる。
 近年、館の正面広場ではビールフェスティバルや、館を中心に市内で開催された自動車レース・GT( グランドツーリング)など、厳しい時代と革命を過ごした場所もさまざまな観光誘致政策で賑わう。
 いつかこの町の人たちがこの賑やかさと華やかさを心から楽しめる日がくるよう、ブカレストの青空の下、今日も願う。

ルーマニアインフォメーション

【面積】237,500k㎡(本州とほぼ同じ)【人口】約2170万人【首都】ブカレスト 【言語】ルーマニア語【通貨と為替レート】通貨単位はルーマニア・レウ(RON)。 複数形はレイ。1RON=27.3円(2011年3月現在)* 2007年に欧州連合(EU)に加盟し、ユーロ導入は2014年に予定されている。 【アクセス】日本からの直行便が無く、トルコ航空やオーストリア航空、 ルフトハンザドイツ航空などで乗り継ぎか、ヨーロッパ各都市からのネットフライト(Blue Airなど)が充実している。 【観光シーズン】ルーマニアは、一年中観光に適している。 ベストシーズンは、天気が良く過ごしやすい5月~6月、9月~10月 冬は特に山岳地帯は寒く、11月から3月中旬にかけてルーマニアの至る所で雪が降る。 そのため、多くのスキー客が西欧からルーマニアを訪れる。 7月と8月のサマーシーズンは暑いが、湿気は少ない。(ブカレストで約18~22度)(ルーマニア観光局ウェブサイト抜粋)

※こちらの媒体は次のブログにも紹介されています。
http://go2rumania.exblog.jp/16136930

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