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▲トップへ遅れてきた国が先行組を脅かすルーマニアとブルガリアの低力
私の時間 2008年10月号 著:鈴木太郎
旅で出会ったワインたち
「ルーマニア」と聞いて何を思い浮かべますか?
あの体操の妖精コマネチ、ドラキュラ伝説、野生動物の宝庫ドナウデルタ、セレブに人気の泥パック…いずれも正解だが、最大の特色は、中欧で唯一ラテン民族の血筋が受け継がれている国。中世以降、異民族の支配を受けながらも、その独自の文化を守ってきた。民俗学の宝庫と言われ、世界遺産も29を数える。また、カルパチァ山脈やドナウ川、黒海の周辺に広がる肥沃な大地は、豊かな自然の恵みをもたらし、とくに生産量世界12位のワイン造りは、紀元前に遡る。
〈ヨーロッパの心のふるさと〉ルーマニァヘ。
ラテン民族の明るさが満ちあふれる首都ブカレスト。
浮世絵との思わぬ出会いも
2世紀初頭に進駐したローマ軍によってラテン化が進み、〈ローマ人の言葉をしやべる人々の上地〉という意味をもつルーマニア。20年ぶりに訪れた首都ブカレスト。ホテルやレストラン、カフェ、露天が並ぶマゲル通り、高級ブティックや画廊が並ぶヴィクトリア通り、大学広場一帯は、あの独裁者チャウシェスク大統領時代の暗いカゲが消え、ラテンの血をひくルー了一ァ人本来の明るさにあふれていた。
カフャ(カフェ)でチャイ(お茶)を飲んでいたら、一人の紳士が「日本人か?」と声をかけてきた。「ヴァイオリニストの天満敦子を知ってるか?ルーマニアの魂が演奏できる数少ない外国人アーチストだ」とべ夕ぼめ。「オイストラフ以来の名演!」と絶賛された16年前の彼女のコンサートが、ルーマニア人の心に深く刻まれているようだ。
各国の美術工芸品を集めたルーマニア・コレクション美術館に、北斎や歌麿の浮世絵のコレクションがあった。北斎の絵は完全な5巻物を含めて70枚以上、歌麿も約50点所蔵されている。〈遠くて近い〉ルーマニアがこんなところにあったとはー。
優雅な建築美を誇る世界遺産ホレズ修道院。
今も修道女がつつましい生活を営む
カルパチア山脈の南麓にある世界遺産ホレズ修道院への起点、トゥルグ・ジウまで列車で向かった。ブカレストの郊外に出ると、車窓には大規模な畑や牧場が広がっていた。さすが農業国だと実感させられる牧歌的なワラキア大平原だ。
トゥルグ・ジウからバスでホレズヘ。さらに修道院までは、ゆるやかな丘陵を歩くこと約5」、やっと修道院の高い壁が見えてきた。
ワラキア公国のコンスタンティン・ブルンコヴェアヌ公が□世紀末に創建した修道院は、伝統的な正教建築にルネサンス様式を取り入れた「ブルンコヴェアヌ様式」の建物。この時代、多くの教会や修道院が建築文化の花を咲かせたが、この修道院は、独自の優美さを誇っている。数多く残るフレスコ画も一見の価値がある。なだらかな周囲の山々と、曲線を多用した建物とが見事に溶け合う修道院は、今も修道女たちがつつましい生活を営む〈聖なる空間〉が守られ、なぜか心が洗われた。
トゥルグ・ジウの宿に近いレストランを覗くと、数人の男性が、アルコール度数の高い地酒の「ツイカ」(スモモなどの蒸留酒)を飲んでいた。これが食前酒というから、さすがギリシャ神話の〈酒の神ディオニュソス(バッカス)〉の生まれ故郷と自慢する国だ。
全土8つのエリアに分けられるルーマニアのワイン産地。この一帯も、伝統品種を使った赤と白の銘醸地が数多く点在しているが、革命後、カベルネ・ソーヴィニヨン(赤)やシャルドネ(白)の外来品種のワインが評判を呼んでいる。
豚を香辛料でグリルしたグラタールを頼んだら、ドナウ川近郊の「リヴァー・ルートカベルネ・ソーヴィニヨン」を薦められた。カシスや黒スグリなど赤い果実の風味と、しっかりしたボディーが素朴な肉料理に深いコクを与えてくれた。
伝統的なワインに世界の風を吹き込んだ革命後の新星
「リヴァー・ルート」のふるさとへ
トゥルグ・ジウから、どこまでも続くブドウ畑を南下すると、ドナウ川に近いオプリソール地区に、新星「リヴァー・ルート」のワイナリーがあった。その名の通り、ドナウの川風がブドウ畑を吹き抜けていた。
会社は、あの有名なドイツワイン「ブラック・タワー」の醸造会社レー・ケンダーマン社の経営だった。『フランスのボルドーと同緯度のルーマニアは、その古い歴史とともに天恵のブドウ栽培地。ここからグローバル・スタンダードの良質なワインを世界へ広めたい』と広報担当者。
そのために、化学肥料や農薬などの使用を最小限にとどめた有機農法を進めており、そこには、大切な水資源であるドナウ川を汚してはならないというエコ意識も働いていた。
滑らかな舌触りとメロンを思わせる香り、それにフレッシュな昧わいの「リヴァー・ルートシャルドネ」をカワカマス料理とともにご馳走になったが、ドナウの恵みが口いっぱいに広がった。
モルドヴァ北部の世界遺産・五つの修道院
その壁画に残るビザンチン美術の粋
モルドヴァ北部、ウクライナと国境を接するブコヴィナ地方には、世界遺産に登録された五つの修道院が山々に点在している。15世紀、モルドヴァ公国のシュテファン大公が、オスマン朝の軍勢を何度も撃退したあと、各地に教会を建て、ルーマニア正教の庇護と民衆の啓蒙に努めた黄金期の遺産だ。
その修道院巡りの拠点となるスチャヴァは、かつて公国の首都だった町。「五つの修道院」へは、観光タクシーを1日チャーターした。豊かな森の中から、突然、目の前に現れたのが、ルーマニア最大の規模と敷地をもつ「スチェヴィツァ修道院」だった。東西南北それぞれの壁面には、修道士が悪魔の誘惑と戦いながら上る「天国の梯子」、聖人や天使で埋め尽くされた「聖人伝」、キリストの系譜の「エッサイの樹」、そして「最後の審判」が描かれていた。
いずれの修道院のフレスコ画も、テーマに大きな違いはないが、ビザンチン帝国の都コンスタンティノープルをめぐるキリスト教とペルシャ軍の攻防を描いた壁画の「モルドヴィツァ修道院」や、〈ヴォロネツの青〉と呼ばれる色鮮やかな壁画の「ヴォロネツ修道院」、緑を基調にしたフレスコ画が周囲の芝生と調和した「アルボーレ修道院」、宮廷画家トーマスが描いた「フモール修道院」など、それぞれ特色があった。保存状態が良く、〈ビザンチン滅亡後のビザンチン美術の宝庫〉と言われるのも納得できる。
ルーマニアワインの代名詞
コトナリのふるさと吹くワイン造りの〈伝統と革新〉の新風
スチャバのレストランで、ルーマニア料理の定番であるサルマーレ(ロールキャベツとサワークリームを一緒にじっくり煮込んだもの)を頼んだ。これに合わせたのが、コトナリの至宝と言われるコトナリ社の白ワイン「グラサ・デ・コトナリ」。甘口だが、自然な甘みが、酢漬けのキャベツの酸っぱさをほどよいまろやかさで包んでくれた。キュウリの酢漬けのサラダにも相性が良かった。コトナリの特徴は、原産品種のグラサ・デ・コトナリ、フェテアスカ・アルバ、タマイオアサ・ロマネアスカを使った甘口。『糖度を上げる遅摘みができる環境に恵まれているからさ』と言われ、早速、スチャバと古都ヤシの中程にあるコトナリ村を訪れた。カルパチア山脈の東南斜面に広がるブドウ畑は、北からの寒風から守られており、しかも、貴腐菌が発生しやすい多くの川や湖に恵まれた〈甘口ワインのゆりかご〉にふさわしい天恵の地にあった。
シュテファン大公が愛飲した時代から、500年余の伝統を受け継ぐコトナリ社は、1200ヘクタールのブドウ畑を所有するルーマニアの代表的なワイナリーだ。『50年前からのストックは80万本を超えます。さらなる品質向上のため、50人のワイン・スペシャリストが日夜研究を重ねています。自慢は、自然で軽やかな甘さでしょう』と醸造責任者。
たしかに、遅摘みの「グラサ・デ・コトナリ」は中甘口だし、完熟の「フェテアスカ・アルバ」はさらに甘さを控えめにした優雅な味わい。「タマイオアサ・ロ了子アスカ」もしつこくない甘口で、フルーティーな感じ。この天然の甘さは、辛口派の多い日本人にも抵抗がなさそうだ。ブカレストヘの帰路、かつての首都だった「ヤシ」に立ち寄った。最初の大学が開かれた文教都市で、〈ルーマニアらしい町〉だ。レストランに入り、メニューを見ると、キャベツではなく、ブドウの葉を使ったワイン銘醸地ならではの「サルマーレ」があった。ワインの選択に迷っていると、『ボホティン村の本物の「マスカット・ローズ」がいいよ』と薦められたのが、ビニア社のロゼ「ブスイオアカ・デ・ボホティン」。
ローズレッドの色といい、酸味と糖度の調和といい、飲んだ後の花の香りといい、料理との相性はバッチリだった。郊外の本社を訪ねると、最新設備を整えた国際レベルのワイナリーで、設立から60年弱と歴史は浅いが、コトナリをはじめ、ウリカニ、フーシ、ムルファトラーなどの銘醸地にブドウ畑と醸造所を持ち、その土地の特性を活かしたワイン造りをしている。栽培品種は、原産種からピノ・ノワール、メルローといった外来種まで幅広く、しかも、甘口から辛口、白、赤、ロゼと、ルーマニアのあらゆるタイプがそろっていた。
『1990年代のヴィンテージは、多くの国際ワインコンテストでメダルを獲得しています』と広報担当者は胸を張った。甘口白ワイン「グラサ・デ・コトナリ」は、2~3年の樽熟成によって繊細さが際立ち、原産種の黒ブドウを使った中甘口の赤ワイン「フェテアスカ・ネアグラ」は、果実味とタンニンの香りが舌に残った。辛口の赤「ピノ・ノワール」は、タンニンのバランスがよく、ご馳走になったミティティ(香辛料の効いた羊肉のミニハンバーグ)の味わいが深まった。
中世都市とドラキュラ城とワイン街道…。
観光スポットの多いワラキア北部
ブカレストから鉄道で1時間半、カルパチア山脈の南麓にあるシナイアは、18世紀に王侯貴族の別荘地だった〈カルパチアの真珠〉と呼ばれる高原リゾート。ここにあるのが、ルーマニアで最も壮麗な城のペレシュ城だ。ドイツ・ルネサンス様式の美しさに酔うとともに、数多くの彫刻、噴水、バラが配された庭園からは、シナイアの渓谷美が一望できた。
中世の町並みが残る第2の都市ブラショフの郊外にあるのが、有名な〈吸血鬼ドラキュラ〉の居城のモデルとなったプラン城。プラン村の山上にそびえ立つプラン城は、典型的な中世の城砦で、ドラキュラ伝説を想起させる不気味さは感じないが、14世紀の城主となったワラキア公ヴラドー世の祖父が、ヴラド・ツエペシュ(串刺し公)と呼ばれた猛将で、ドラキュラのモデルになったそうだ。
ワラキアからモルドヴァまで続くワイン街道の最南端の町プロイエシュティ。ここからブザウまで延びるデアル・マーレ地区は、豊穣な赤ワインの名醸地だ。今、ここでは、フランスやドイツ、イギリスなどの資本が参入したルーマニアワインの国際化が始まっていた。
メルローやピノ・ノワールなどの外来種も使ったフランス産オーク樽の熟成ワインは、なかなかのもので、メルローは、農園で出された手造りのムサカ(茄子と挽肉の重ね焼き)との相性も抜群だった。
帰国後、ルーマニア料理とワインの味が忘れられず東京・銀座にある本格的なルーマニアレストラン「ダリエ」で懐かしい味と再会するとともに、ルーマニア人の温かさが思い出された。
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