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▲トップへモルドヴィツァ修道院
スチャヴァ県クンプルング・干ルドヴェネスク市から約20キロ北にある。標高1,109メートルのチュムルナ峠の近くにある、同名の村の中に所在している。この村にはクンプルング・モルドヴェネスク市からヴァマという町へ行く国鉄の駅がある。 モルドヴィツァ村も一見に値するところである。農家の伝統的な木材の家屋が並び、どこでも屋根付きの車輪巻き型の井戸が見える。農家と井戸の彩りは素晴らしく、修道院の見学がてら、村も見学するだけの価値がある。
領主ペトゥル・ラレシュが建てた修道院の中で最も美しいのがモルドヴィツァ修道院です。
もともと小さな教会があった場所に、彼は1532年にこの修道院を新しく建てました。内部と外部の壁画の完成に、5年も費やしました。
壁画の画家は、無名の人物ですが、現地の村びとだったに違いないと思われます。
北向きの壁画は相当傷んでいるのですが、ほかの壁画の状態は良好です。
入口の真上に、モルドヴァで最も美しい壁画が見えます。「聖母マリアと子供のイエス」です。
ほかの絵も聖処女マリアをテーマにしたものが多いです。「コンスタンチノープルの包囲」の絵も大きくて有名です。
絵画の悲劇的な内容には、モルドヴァ国を攻撃したオスマントルコ軍を憎悪し、「絶対的な不服従を誓う!」といったメッセージが込められているのです。
それは、壁画の中の人物が、ブコヴィナ地方の当時の民族衣裳を、着ている者が多いからです。
この絵が、一般の村びとをモデルにして描かれた証拠でしょう。
現在の修道院の地には、初めて慈善者アレキサンダー公の命によって修道院が建立された。建造は1402~10年と見られている。
しかし16世紀初頭、大雨によって地すべりが起こり、建物が崩壊してしまい、廃墟の一部が今も残されている。
修道院はシュテファン大公の私生児ペトル・ラレシュ王子の命によって再建され、1532年に完成した。四方から教会堂を囲う、高さ6m厚さ1.2mの城壁があって、数本の見張り塔が要所に配置されている。他の修道院と比べてはいくらか薄めの城壁ではあるが、要塞としての機能を兼ね備えるように作られているといえ教会堂は境内の中央に広々と建っている。建築様式としては、シュテファン大公の時代に確立した伝統によるもので、出入り口の張り出し屋根と三尖頭(アーチ)をつないだような形をとった祭壇部が主な特徴となる。窓やドアの上部も、円形の尖頭型となっている。台石が建物より若干広く、三つ葉のバラなどが彫刻されている。
壁画は16世紀に製作されており、当時のモルドヴァ地方の日常生活を描写する場面が見られる。内壁の絵画のほとんどが伝統的な内容と手法のものであるが、身廊にある「キリスト傑刑像」(Rastignirea lui lisus)が特にぬきんでている。壮絶なテーマと優れた表現力で、ルネサンスのイタリアにおける「十字架降下」や、15世紀ノヴゴロドのイコンに遜色のないものといってよい。
祭壇の上にある塔の内壁には「最後の晩餐」があり、キリストの使徒ョハネに対する表情が穏やかで、落ち着いて荘厳な雰囲気をかもし出す。
拝廊のアーチの内壁には「聖母の祈り」があって、入口の上にあるアーチ(テインパヌム)には「聖母のやさしさ」がある。両方のテーマはアイコンによく出てくるが、この教会堂で壁画となっているこれらの絵は、直接な礼拝の対象となるアイコンと比べて、装飾的な要素が著しく、色鮮やかで表情が人間的になっている。 外壁の彩画は1537年に製作されたらしく、フモール修道院にある壁画によく似ている。南側外壁の絵画は保存状態が良好で、歴史的な場面「コンスタンテイノープルの包囲」などが目に立つ。東ローマ帝国の大首都コンスタンテイノープルが1453年に異教徒のトルコ帝国に征服されて当時記憶に新鮮なはずだったが、この壁画に出ているのは、626年コンスタンティノープルがペルシア人に包囲されて、守りぬかれたというまったく別の場面である。数十年前の大敗の代わりに、800年前にあった大勝利を描いているが、負けているペルシア人がトルコ人になっていることがおもしろい。
後陣の外壁部には、一般の信徒たちに強く働きかける絵が並ぶ。まず「諸聖人の祈り」がある。これは現世の教会を構成するこの世の信徒とその支配級と、天国の教会を構成したイエスと聖人だちとを連想させる。旧約聖書の場面となる「モーセの燃える柴」(いつまでも炎を出している柴の場面、旧約聖書と新約聖書を結ぶ「エツサイの木」がある。中世キリスト教の信仰場面となる「聖母への賛美歌」はロシアの有名な司教の詩をもとにしているといわれる。どの教会堂の外壁にも必ず出てくるテーマ「最後の審判」の場面では、予言者ムハンマドも異教徒の人物として登場する。魔王によって地獄に導かれる高官の暗示的な図像が描かれている。
その他に、地元の伝説に基づいた「天国の関所」がある。この壁画には、死者の魂が死の直後に審判を受け、収税する悪魔に貢ぎ物を支払った後、天使に連れられ天国への数箇所の関所を通る様子が描写されている。そもそも、ルーマニアでは古くから、死者の棺桶や墓穴の中に、または埋葬の行列が川を渡るときコインを投げるという、古代ギリシャの神話にも出てくるような習慣があったようであるが、いうまでもなくこのような場面は聖書に存在していない。この絵画には、おそらくキリスト教以前の古代ルーマニアの神話が編みこまれたものであろう。同じテーマの壁画ばフモール、アルボレ、ヴオロネツにもある。
モルドヴィツァ修道院とフモール修道院にある壁画が類似している点が多く、この中にも、赤、青、緑の鮮やかな色彩と調和した黄土色を主体とした、いわゆる「赤の羊皮紙」の色道いが共通している。このことから、製作した画家がフモールの壁画を画いたスチャヴァのトーマ氏と同一人物なのではないかという研究者がいる。
教会堂とは別に、2階建ての建物が境内にある。これは1612年にラダウツィ司教エフレンの命令によって建てられたもので、ルーマニア語で「clisarnita」(土小屋)と呼ばれるが、名称に似合わずしっかりした石作りである。修道士の住居と細密画の教室、または美術品の倉庫として機能を兼ね備えてきた。現在は博物館となっており、17~18世紀の貴重書のほか、モザイク美術や、ロシアの女帝エカテリーナの銀彫刻などを所蔵している。これらの貴重書の中には、未出産のビツジの胎児の皮から作られた羊皮紙のみを用いた本がある。