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ワイン通を唸らせるルーマニアワイン

今や日本でもビールや焼酎と同じ様に、どこでも飲むことが出来るワイン。
ワインといえば、みなさんの頭の中に浮かぶのは、フランス、イタリア、チリのワインですか?
実はルーマニアもヨーロッパでは主要なワインの生産国で、ルーマニアワインはヨーロッパの人々に数多く愛されています。

ルーマニアワインは歴史も古く、紀元前からワインの製造が行なわれていました。
中世ヨーロッパの皇帝・国王たちが愛飲していたのも、ルーマニアのコトナリの白ワインだったのです。
19世紀の後半には有名なワイン国際博覧会で高い評価をうけ、パリでルーマニアワインの大ブームが起きたほどです。

なのに何故、ルーマニアワインが日本では、ほとんどフランスのワインのように紹介されないのか?
それは第2次世界大戦後に社会主義国となり西欧諸国との交流が閉ざされ、ワイン市場から姿を消していってしまっていたからです。
しかし1989年の社会主義体制の崩壊後、ルーマニアワインは再びワイン市場へと紹介されるようになりました。

高品質で美味しいルーマニアのワインは、ヨーロッパや日本のワイン愛好家たちの舌を唸らせる「通だけのワイン」と言われています。
今や日本でも手に入るルーマニアワイン。ぜひ一度お試し下さい。必ずアナタはルーマニアワインの虜(とりこ)になること間違いありません。

ワインテイスティングツアー

有名なワイン産地

Cotnariコトナリ

コトナリはモルダビア・ワインの聖地といえる。18世紀初頭ルーマニアの作家ディミトリー・カンテミールは「ワインといえばコトナリ。それしかない。ヨーロッパ広しと言えども、世にトーケー・ワイン在りといえども、コトナリワインに勝るものなし」と絶賛したほどだ。またドイツの高名なワイン学者「W.ハム」は記述の中で、1845年産のFleur de Cotnariを「すばらしいの一言だ。強くそして繊細なその味は、私が賞味した1868年においてもその輝きを失ってはいない。まるでそう、スペインのマラガワインを彷彿とさせる味だ」そしてその賞賛は、1889年のパリ博覧会で、最高の賞を得たことで証明されたのである。今日、Grasa de Cotonariはルーマニア・ワインの王様といえる。味はクリーミーでしかも蜂蜜とアーモンドの香りがするから不思議ではないか。もちろんケーキやクッキーにはごきげんな取り合わせとなるはずだ。Romanian Mascadet は同じく甘いワインで食後に良く似合いますよ。

ルーマニア白ワイン、グラサ デ コトナリ

Murfatlarムルファトラー

コトナリが白ワインで有名なら、赤ワインなら特にムルファトラーである。ドブルージャ地方の有名ワイン畑はムルファトラーに集まっている。ここではワイン畑であれ、観光で訪れたディオニサス神殿の中であれ、地ワインの味を確かめるに事欠かない。ぶどうの品種としては、シャルドネ、マスカット・オットネル、リースリング、カベルネ・ソービニオン、ピノノール、トタミナーである。品評会で賞を獲得したものといえば、ソーベニオン・ブランコ、ドライ・リースリング、ドライマスカット、ピノー・グリジオなど。この地方で作られたワインは、偉大なラテン詩人「オウィディウス・プブリウス・ナソ」にちなんだ「オウィディウスの涙」と表されるほど甘くせつなく、幾千年もの悠久の時の流れを感じさせる。

ルーマニア赤ワイン、ムルファトラー

Husiフシ

4つの丘に囲まれたワインの産地といえばHusiだろう。プルート河に沿ったこの街の秋の夕映えは、照り返すワイン畑とあいまってそれはそれは美しい情景をかもし出す。フシはかつて貴族の領地で、今でもThe Viovode’s Balcony として保存されている。ルーマニアの作家ディミトリー・カンテミアは「Husiのワインはすばらしい。コトナリも最高だが、ここはそれ以上だ」と褒めちぎっている。フシのワインでビッグ2と称されるものはロゼワインのBusuioaca de Bohotin (ブスイオアカ・デ・ボホティン)と白ワインのZghihara de Husi(ジハラ・デ・フシ)です。Busuioacaは、ロゼが持つ特徴といえる繊細で淡い感覚は、上質の食事の後には最高の友となりうる味わいがある。

ルーマニアロゼワイン、ブスイオアカ デ ボホティン

Alba Luliaアルバ・ルリア

中世の城砦都市を思わせるアルバ・ルリア。ここでは1968年に偶然発見されたギャラリーの地下がなんとシャンパンやワインの理想的な貯蔵庫となっていた。数あるワイナリーの中でも有名なのは、Ighiu、Cricau、Sard、Galda、Bucerdea Vinoasa、Santimbru and Telna.などであろう。1468年、十字軍で先頭に立ち戦ったハンガリー国王「マティアーシュ・コルビン」王の結婚式でゲストに振る舞われたのがTelnaのワインだと言われ、世界三大貴腐ワインとされる「トカイワイン」と比べても引けを取らないほどだ。また、コトナリ産で評判をとるGrasaも元を正せば、このトランシルバニアの山奥から誕生したのである。

Moldavia モルダビア

「酒の神バッカス」にみそめられた土地、それがモルダビアと言って過言ではない。どこへいっても親切な土地の人たちが育む豊穣のワインに加え、ワインにまつわる話には、事欠くことはない。ルーマニア全土の3分の1のワイン生産量を誇る「モルダビア」を旅するとき、上質のワインと、伝統の「ふるさとの味」を満喫できる幸せに、疲れた身体を癒されるのである。

Iasi ヤシ

モルダビアの古都ヤシを歩くと、オープンセットの博物館の中に入り込んだかのような錯覚を覚えることでしょう。路地のあちこち通りの隅々に、時を越えて、ルーマニアの文化と歴史たちが今も生きていると感じるからだ。シュテファン・セルマーレ、ディミトリ・カンテミール、イオン・ネクルーシ、ヴァシール・アレクサンドリなどのヤシを統治した政治家たち。彼らの生きた時代を思い浮かばせるような建物。それがそんなノスタルジックな気持ちにさせるのだ。7つの丘の街といわれる「ヤシ」には、宮廷の庭、文化の宮殿、聖ニコラエ・ドムネスク教会、みごとな石材で仕上げられた「Trei Ierarhi」など、この町を観光するなら見逃せない名所、観光スポットがたくさんある。なかでも「Bucium ワイナリー」のブドウ畑は、町の端から端まで延々と連なり、まさに圧巻なのである。この地の極上ワインとしては、「Riesling」「White Feteasca」「Aligote」それに「Muscat Ottonel」が有名である。とくに「White Feteasca」は、グラスの中で中世のルーマニアを感じさせる、ベルベットのような滑らかな味わいが特徴である。また、あちこちに点在するワインのテイスティング・ルームで、しばしの時を満喫するのも結構だが、「Muscat Ottonel」シャンパンの、その甘く、まろやかな味に魅惑され過ぎないようくれぐれもご注意を。

Panciu パンチュー

数十年前のあるとき、ハンターが狐狩りの最中に偶然見つけた動物のすみか。なんとそこは長さ2kmにもおよぶ、中世のワイン倉庫だった。「ステファン・セルマーレ」大公が統治する時代から秘蔵されてきた高級シャンパンのオンパレードであったというから驚きだ。ぶどう種は「White Feteasca」「Royal Feteasca」「Italian Riesling」を元としたキラキラと美しい、光沢に溢れたシャンパンを生み出す土地である。特にパンチューのぶどう畑で作られる「Black Babeasca」種は、その柔らかな感触を、舌先で一度味わったら、忘れられない一本になること請け合い。年季の浅いワインはぶどうの新鮮さと香りが漂い、年を経て熟成されたものは洗練された風味を十分に楽しむことができる不思議なぶどう種である。オドベスティのあたりでは「Galbena de Odobesti and Cotesti」が赤ワインとしていちおし。また、南モルダビアには「ニコレスティのワイン」があることをお忘れなく。

Walachia バラキア

モルダビア・ワインが、ルーマニアの歴史を感じさせる世界に類を見ない「ビンテージ風ワイン」の産地とすれば、バラキアはまさに「重装備」されたワインカントリーといえる。とはいえ、白ワインや、香りの強いワインに無いとされる自然の味わい、天然の恵みの味を失ってはいない、良質のワインを作り出しているのだ。「プイエトロアセーレ」からドナウ川河口の「ヴァンジュ・マーレ」や「ディアル・ビイラー」のワイナリーまで、ワイン畑は延々10万ヘクタールにもおよぶ。長さ60kmにわたるディアルマーレ地方は、各種ワインの見本市といえる「ウルラティ」「バレア・カルガレアスカ」そしてト「ハニ」などが有名で、ルーマニア一番の赤ワインの産地として知られ、特にプラホバ地方で作られる「Black Feteascasca」種は、スター産種である。ルーマニア観光省はこの一帯を「ワインロード」として世界に広報している。

Tohani トハーニ

ワインにロマンスはつきもの。とくに当地の領主「ニコラエ王子」と美人だが平民に過ぎなかった「ドーレット」との恋物語は「トハーニ」の名を一躍有名にした。貴族の称号を捨ててまで、ドーレットとの結婚に走ったニコラエ王子のラブ・ストーリーは2つの世界大戦のはざまという時代背景にもあおられて世間の耳目を集めたが、その王子の名を冠したワインが今でも「Princely」として残っており、原種「ビュジオアカ・デ・トハイ」「ピノノアール・キャバネ・スーベニオン」そしていわずと知れた「ブラック・フェィティアスカ」種から生産されている。また、時代に翻弄されながらも愛を貫いたヒロイン「ドーレット」の名前を拝したワインも「ブラック・フェティアスカ」「メルロー」 「ネグル・デ・トハニ」「イタリアン・リースリング」「スーベニオン・ブランコ」「マスカット・オトネル」などから生産されている。

Urlati ウルラティ

「悲劇のゴールド・プリンス」と称された領主、「コンスタンティン・ブランコビアーヌ」が所有していたワイナリーが今も現存しており、ぶどう種は「キャバネ・スベニオン」と「ピノノール」、それに「メルロー」。さらに白ワインのぶどう種として代表格といえる「ブラック・フィティアスカ」がある。「ブラック・フィティアスカ」はブラックベリーの風味を持ち、アルコール度数は12~12.5度だが、グラスにそそいだ瞬間そのまろやかな味を堪能できる。オーク樽の中で、時の流れに身をまかせて熟成すればするほど、料理やロースト・ピーナツと抜群の相性を醸し出す一品だ。

Valea Calgarerasca ヴァリア・カルガリラスカ

デアル・マーレのワイン畑は、いくつもの谷をまたいだ山間にある。その土地に住む修道僧たちが丹精込めて、ぶどうの収穫とワイン作りにはげみ、いつしか、ワインの里「バレア・カルガリアスカ」と呼ばれるようになった。生産品種は、「カバネー・スーベニオン」であり、その味たるやまるで、旧友に再会して、肩を叩き合うようなドシっとした重厚さが漂う。カバネー本来の強みに、ねばりを加えたワインと仕上がり。まさに人生の晴雨にかかわらず、いつもそばにおいて置きたい味わいのワインといえる。

Dragasani ドラガサーニ

肥沃な大地に恵まれたオルテニア地方を見渡すとき、かつて高名な百科辞典編者、B.P.ハスデウー氏が言った言葉を思う。「かえすがえすも、つくづくも、ワインはここにあるべし。ルーマニアに」「サンブレスティ」「コルコバ」「バンジュ・マレー」などは赤ワインの産地だし、ドラガサーニも、献上ワインの産地として知られていた。 事実このドラガサーニのワインは、様々なワイン・コンテストで輝かしい成績を収めている。1868年パリ、1898年ボルドー、1908年ミラノ、そして1912年グランドでの入賞などがあります。品種としての「Tulburelul de Dagasani」は現在でも、白ワイン・赤ワインどちらのセレクションもヨーロッパ市場で広く受け入れられている一方、「ソーベニオン・ドラガサニ」は「ゆっくりと時間をかけて、語りかけながら飲むワイン」としてこちらも好評である。

Banat バナト

19世紀初頭から生産され始めた「バナト産ワイン」は、当時のウイーン公国に大変重宝された歴史がある。特異な地形から生まれる「バナトワイン」は、多くの特徴を持つ。スイスのチロル地方を思わせる、標高の高い高原地帯にワイン畑が広がるかと思えば、テレミアマーレやトムナティックのように、砂礫質の土地も見られる。とりわけバナト山脈にいたる平原と、丘陵地の間隙を縫って広がるワイン畑として有名なのが「Silagiu-Buziau」である。

Recas レカス

ティミショアラからは目と鼻の先にあるレカス・ワインは通称「川に挟まれた村」にある。「カバネ・スーベニオン」「ブーグンド・マレ」「メルロー」「カドシャ(イタリアン・リースリング)」「ローヤル・フィティアスカ」そして「クリアタ」などのぶどう種が使われている。黄色い「クリアタ」などは、ワイン通でも、ほとんどの人が聞いたことも無いだろう。この地独自の品種で、大きくて硬い実が、ややドライな感じがする食卓ワインへと変貌する。「最初に目をつけた女の子を、口説き落とすような」感じの躍動感あふれたワインと言える。

Transylvania トランシルバニア

芳香があり口当たりが軽いワインが、旧ルーマニアに住む、トランシルバニア人たちがつくるワインである。主にサクソン系の影響を多大に受けたこの地方の飲み物は、ワインのほかに果実からブランデーを作る。「ビナルス」「パリンカ」「ホリンカ」「ラチー」などがある。主に梅、りんご、梨などを木樽につけて、じっくりと黄金色になるまで熟成するのが普通である。

Minis ミニス

トランシルバニアワインと比肩されるものに、アラド産のワインがあります。「リポバ」と「パンコタ」にまたがるザラン山脈は、50kmにもおよぶ長さがあります。この一帯の代表するワイン畑といえば「ミニス」であろう。1862年のロンドンでの品評会で「Rose de Minis」は特等を獲得。その後もミニスワインといえば、「質も評判も最高級の輸出ワイン」として英国、スウェーデン、オランダ、ドイツ、スイス。はてはアメリカにまでその名を知らしめた。赤ワインのぶどう種としては、「キャバネースーベニオン」「マルロー」「ピノノール」の他に、この地方で生まれた品種「Cadarca」も見逃せない。鮮やかなルビー色に秘められた甘い誘惑は、一度味わった人には忘れられない思い出となる。

Jidvei ジドベイ

よく知られたルーマニアワインの産地と一緒に出てくるのが「タルナベーレ水系」である。秋口には霧に悩まされる事が多いが、この霧こそぶどうに芳醇さと適度の酸味をつけさせてくれるのである。このあたりが「香りに包まれたブドウ畑」と呼ばれるゆえんである。有名な畑としては、「Jidvei」「Craciunelul de Jos」「Blaj」「Medias, Danes」など。やや甘口のワインとして「トラミナー」などは、家族みんなで楽しめます。

Dobrudja ドブルージャ

ワインとドブルージャの関係は書き尽くせない。今、最も注目されている産地といえよう。古代ギリシャの船乗りたちによって開拓された黒海と、ドナウ・デルタに挟まれた地方は肥沃な土地に恵まれ、ディオニサスのギリシャ神話にも出てくる。「オルティナ」から「メドジディア」さらに「バダバグ」から「ニクリテル」まで、この地方には今もギリシャとの融合が深くみられ、ワイン造りにもそれは色濃く反映されている。中でも有名なのが「ムルファトラー」の赤ワインです。

Murfatlar ムルファトラル

ドブロジャ地方にあるワイン生産地。’Temple of Dionysus’と呼ばれるレストランは160人を収容することができ、敷地内にはワイン博物館もあります。レストランではマトンソーセージやロールキャベツなどの伝統料理が楽しめます。

Urlateanu ウルラティアーヌ

ブカレストの北に位置するUrlatiにある、ノスタルジックでレトロ感にあふれるワインセラー。ワインセラー、レストラン、テラスなどでワインの試飲ができます。定員50人までの小規模のワイナリーだが食事や美しい音楽も楽しめます。

The Seciu House セシュ―ハウス

ワイン貯蔵室と試飲ルームがあり、伝統料理や魚料理も楽しめます。ワインセラーは600人もの人を収容でき、30もの宿泊施設があります。

Stefanesti ステファネスティ

定員50人ほどの小さなワイナリーだが、ワインの貯蔵庫、ワイン作りのワークショップやブドウ畑を訪れることができます。

Minis ミニス

試飲ルームに加え、ワイン製造博物館も併設されています。毎年九月の最終日曜日にワイン祭りが開かれます。

Jidvei ジドベイ

様々なワインとシャンパンが両方楽しめます。有名な民族音楽バンドである‘Fetele de la Capalna’の踊りも楽しめます。

Bucium バシウム

ワイン製造センターに加え、博物館、試飲ルームに加え、素朴な料理が楽しめるレストランもあります。製造センターから約200mのところに木や石でできた彫刻を展示している野外展示も行われています。

ルーマニアワイン豆知識

Royal Cellars「貴族の貯蔵庫」

ワイン貯蔵庫は地下深くあればあるほど、良いワインが生まれる…とは真実です。「モルダビア史実禄」にもそのことが鮮明に記されており、コトナリ産ワインを評して、ディミトリ・カンテミアがこう解説しています。

“わが国では当然ながら、ワインは地下深く眠らせておくのが一番じゃ。最低3年は欲しい。4年も我慢させたワインの味はまさに爆発だ!“

コトナリでは、ステファン・セルマーレ大公により、みごとな貯蔵庫が作られている。カルホアイア地方に行くと、ルーマニアでも屈指の深層地下貯蔵庫を見ることができるし、別の産地である、Husi地方のビショプリックセラーでもまた同じ形のワインセラーを見ることができる。モルダビアには、このような施設があちこちに散在しており、訪れる観光客を、暖かく迎え入れてくれる。

かつての王室御用達のワインセラーも、「Piatra Neamt」や、パンチューにあるステファン・セルマーレ大公のセラー、また、ミハイ・スタッザ王子の所有するワインセラーもオドベスティにあります。

ルーマニア人とワインの歴史

水よりも貴重なワイン

ルーマニアがもともと、世界でも有数のワイン産出国であることをあなたはご存知だろうか?しかも、ワインは悠久の時と運命を経てきたこの国の歴史的産物であったということもご存知だろうか? ルーマニアの古代史を紐解いてみると、面白い史実に出くわす。

かつてダキア王国として栄えたルーマニアは、時のローマ帝国の皇帝ブレビスタ(紀元前82-44)の侵攻を受け、皇帝の勅令により、ぶどうの栽培を禁止されてしまった。彼はダキア民族の服従の証しを、ワインに求めたのである。当時のダキア王であったストラボが、編史‘地理学’の中でこう説明している。

ダキア人にとって、ぶどうの栽培ができなくなるなんて考えられないことだった。ダキア人にとってしぼりたてのワインは、水よりも貴重であり、ワインを衣服の上から注ぎかけると、幸運が飛んでくると彼らは強く信じていたからだ。

しかし、この暴君ブレビスタが、大司教デセナエウスに命じた勅令をもってしてもダキア人の心まで支配することはできず、結果的にこの政策は失敗に終わった。帝王シーザーにも匹敵する暴君ブレビスタとしては、こんな敗北を認めるはずはなく、その後もローマ兵を国のあちこちに駐屯させて、ダキア人の動きを封じ込めたのである。やがて時は過ぎ、ぶどうの力がワイン作りだけではなく、栄養元として またぶどうの医療的効果も徐々に認められてきた。今でも使われるラテン語のストラグレ(ぶどうの実)、ブツーク(ぶどう栽培)クルペン(ぶどうの種)などはこのダキア王国の名残といえる。

後年ローマはトラーハン治世に変わり、相変わらずダキア王国への圧力を緩めようとはしなかった。彼の代に出された新通貨‘ダキア・フェリックス’はまさにダキア王国侵攻を記念したものであり、屈辱的な支配下にあったダキア王デセバラス王は、ローマの軍門に下るよりはと自ら死を選んだ。紀元前106年のことである。そのあたりの描写を歴史家「バシール・パルバン」はこう記している。

このような時代下であっても、ぶどう生産は大きな事業であり、このアカルパチア地方においては、ダキア王国とローマ帝国の微妙な関係を象徴する土台をなしていたのである。

当然、ラテン文化圏としての名残は言葉にも継承されている。例えば「Vie(ぶどう畑)」「Vita(ぶどうの枝)」「Must(must)」「Vin(ワイン)」「Calcator(圧搾機)」などがそれである。ルーマニア人がクリスチャンである以上、彼らにとってワインはキリストの聖なる血を表し、彼らの日常生活そして信仰生活のあらゆる面で多大な影響を与えている。まさに洗礼から埋葬までワインとともにあると表現できるでしょう。

賞賛され続けるルーマニアワイン

では果たしてローマの暴君ブレビスタは、ダキア王国の広大なぶどう畑を、ことごとく焼きつくしてしまったのだろうか? これは今もって「謎」とされる。ただワインが、ルーマニアの歴史に及ぼした影響は想像以上のものであったこは確かだ。ルーマニア国内にあった、3つのローマ帝国直轄領地で栽培され生産されたワインは、その後、大きな地位を占めていった。特にモルダビア地方とワラキア地方では、いわゆる‘お注ぎ役’なるものが誕生したのである。

‘お注ぎ役’とは、時の権力者たちが度たび催す豪勢な宴や式典の場で、権力者のコップに、最上のルーマニアワインを注ぐ役であるが、なんと、‘お注ぎ役’の与えられた地位は閣僚級ともいえたのである。驚くべきことに、ワインの‘お注ぎ役’は当時、特権階級だったのだ。素晴らしいワインを堪能した宮廷の人々が、その味をたたえ、深みを語り合いそして、そのすべては大切な記録として書き伝えられている。今でも観光客は訪れる地で、当時を彷彿させるいにしえのワインを楽しみ、当時の記録を読むことができる。

ルーマニア人にとって、ワイン作りの時期は特別なお祭りだ。この時だけは、たとえどこかで喧嘩があろうと、裁判所でややこしい訴訟が審議されていようと、そんなものはお構いなし。男も女もワイン畑に群がり、豊かな実りを喜び、そして音楽とおしゃべりで、夜明けまで楽しく過ごすのである。男たちは木樽に足を突っ込んで、陽気に愉快にぶどうを踏みつけ、そして高らかに詩を歌い上げるのである。今日この催しは、観光客にも公開され、好評を博しています。

時代を越えて、治世者たちは例外なくワインの価値に目をつけ、領地で生産されたワインをポーランド、ハンガリー、オーストリア、はては遠くロシアまで売りつけていたことは有名な話だ。ワインは、当時のルーマニア国家財政の大きな収入源であったのだ。当然、ワインを最大限支持するパトロン的権力者たち

「ラドゥー1世」「ペトル・ムサト」「ミルチャ・セルバロタン」「ステファン・セルマレ」「ペトル・ラレス」「ミハイ・ビティアズル」「マテイ・バサラブ」「コンスタン・ブランコビアーノ」
などの功績も見逃せない。

であり、王子でもあった「ディミトリー・カンテミア」が18世紀初頭に、ベルリンの学術学会の要請を受けて書かれた‘モルダビア史書’には中世期のルーマニアにおけるワイン作りや、ワイン産業の振興に影響を及ぼした権力者たちの模様が克明に描かれている。コトナリからドナウデルタ・に至るワインカントリーには、修道院や教会によって運営されてきたワイナリーや領主たちが所有したぶどう畑などが、それを取り巻く美しい城やマンションと相成って今でも観光客の人気の訪問スポットになっています。時代から時代へ、ルーマニアを旅してきた人々が一様に驚いていたことはルーマニアワインの持つ豊かな味であった。1541年にウイーンで発表された著書の中でゲオギウス・ライチャズドーファは、モルダビアで供されたおいしい食事と、それ以上にワインのすばらしさを手放しで絶賛している。また、1620年にシャルル・ド・ジョペコートは

美しい丘がつづくこの国には感銘したが、モルダビアのワイン、あれは絶品だ。
まさにポーランドや他の隣国にも、ぜひ知らしめる価値ある贈り物だ。
と評している。

1846年にパリでS.ベランジャーはこう評論している。

ピアトラ産のワイン、それにサコエニ、ラミニック産のワインは、
わが国の最高級ボルブレイ産とその質感においてよく似ている。
琥珀色のところもそうだし…
これはワラキア地方のデアルマレ産特有の味わいだけじゃなく、
同時に他の地方、
ステファネスティドラガサニ、サムブレスティ、セガチア、あるいはコルコバ産にも
同じ評価が与えられてしかるべきだ
と、賞賛の嵐が止むことはない。

なかでも現代のキリストと称される偉大な詩人パブリオス・オビド・ナソ(彼は悲しいかな17世紀に亡命地ドブルージャのトミスで死亡したが)が酒の神バッカスも、昂揚のうちに赤面したであろう名作を、次のように綴っている。

この日を歌え、わが詩をもって、わが友バッカスよ。
吹きすさぶ嵐が汝の腕を傷つけようと、歌の翼がそれを覆い
手杯の酒が暖かくそれを癒す

テイスティングツアー

Murfatlar ムルファトラー

ドブルージャン・ワインを片手に、船の旅はいかがだろう。青きドナウ河を、海岸線までゆったりと下るこの旅で、観光客にとってたまらない魅力はまさに「ブルージャン・ワインの里」にいるということだ。眼前に広がる「Murfarlar」のブドウ畑の真中に、2階建ての建物が見えてくる。160人が座れるレストラン“テンプル・オブ・ディオニサス”を始めとして敷地内にはワインミュージアムなどもあり、ムルファトラーの地酒ワインを試飲できるようになっている。マトンのソーセージと、ロールキャベツを主とした郷土料理に舌鼓をうちながらこの土地のフォークロア音楽に耳を傾けるのも一興といえる。

Urlateanu ウルラティアーヌのワインセラー

Urlatiに広がるUrlateanuワイナリーにも足を向けて欲しい。ここは時代の波にもまれ、多くの戦争を経験してきたレトロな雰囲気いっぱいの場所。古き良きルーマニアを感じさせてくれる、レストランでのワイン・テスティングは地酒の味をいっそう引き立ててくれる。50人定員の小さなワイナリーですが、落ち着いた時間が過ごせます。

The Seciu House セシューハウス

プロイエスティ市から26km。二つの丘にはさまれてセシューワイナリーがある。ワイン貯蔵庫とテイスティング・ルームが備えられているが、地元で獲れた山の幸、川の幸がどっさりと用意されるのがうれしい。夏場ともなれば、定員600名がいっぱいになるほどの人気ワイナリー。ここには30人が宿泊できる、宿泊施設も備えられている。

Stefanesti ステファネスティ

テイスティングには50人がいっぱいの、小さなワイナリー。ワイン・セラー案内もさることながら、ここではワイン製造工場や、ワイン畑にも案内してくれる。敷地内には「Stefanesti-Arges」のワイン生産リサーチセンターも併設されている。

Minis ミニス

ミニス市のワイン生産開発センターは、非常に興味深い場所です。ここでは、ワイン生産について何でもわかるミュージアムが、センター内に設けられている。また、毎年9月の最後の日曜日になると、盛大なワイン祭りが開かれます。

Jidvei ジドベイ

ワイン・テイスティングが楽しめるのは「Cetatea de Balta and Balcaciu」です。なかでも面白いのは、人気の民族音楽バンド”Fetele de la Capalna” で踊られるダンスの振り付けが習えることです。

Panciu パンチュー

ワイン、シャンパンのどちらも楽しみたい人は、「SC Veritas Panciu SA」がオススメです。テイスティングのあとの、ブドウ畑の散策なども魅力的です。

ルーマニアワイン豆知識

ルーマニア人達による ワインへの想い

少々の良いワインは我が心を研ぎ澄ます。
しかしたくさん飲むと正直飽きる(ミハイ・エミネスク)

音楽とワインはその人の本質をみせてくれる。
そして心の奥ひだに隠れているものを全部ひきだしてくれる(ジョージ・エネスク)

このグラス一杯のワインこそわが悲しみとあり、
喜びとあり、そして勝利とあるのだ(AICI コンスタンティン・ブランクーシ)

私は常にモルドバワインを飲み、モルドバの言葉で言い表し、
モルドバの形式を重んじてきた。
私こそが永遠に変わぬモルドバッ子であると自負するからだ。
我がモルドバの歴史と同じように(ミハイル・サドビアーヌ)

良いワインの飲み方とは、ちょっとすすって、しばし考え、
空を見上げ、そして地に向かって感謝の祈りを捧げることだ(V.D.コテア)

ワインテイスティングツアー

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